因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『シズコさん』

2014-04-15 | 舞台

*佐野洋子原作 小池倫代脚本 兒玉庸策演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 24日まで (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11
 絵本作家佐野洋子が、自身の母シズコに対するすさまじい葛藤と苦悩を記した自伝的エッセイ『シズコさん』を、民藝と縁の深い小池倫代が舞台劇に脚色した。

 原作のエッセイをはじめて読んだとき、その内容のあまりに壮絶なことに閉口した。自分や身内のことをここまで書かなくても。しかし2度めからは不思議なことに何だか楽しくなり、佐野の淡々飄々とした文体の独特のリズムがからだになじむようになった。たぶん自分はこの本が好きになったのだ。これから繰りかえし読むことだろう。

 原作は母シズコが認知症になってしまった現在にはじまる。満州での幼年時代、日本に引き揚げてからのこと、自分が結婚してからのことなどが、必ずしも時系列に添って書かれておらず、家族や親戚の関係なども少しわかりにくいところがある。戦前戦中戦後と数十年にわたる家族の大河ドラマでもあり、また登場する家族親戚たちのキャラのすごいことといったら!

 小池倫代は、舞台の時間を平成のはじめころから20年と少しの期間にし、おもにヨーコ(樫山文枝)のアトリエと応接間、母シズコ(塩屋洋子)が晩年に暮らした老人ホームの部屋に限定しておよそ2時間の舞台に構築した。

 親に対してまっすぐな愛情と感謝を抱ける人は稀有ではないだろうか。何不自由なく育てられ、親に叩かれたことなど一度もなくても、恨みや憎しみの感情が長く消えずに残る記憶があり、それはしばしば人を傷つけ、深い絶望に突き落とす。それでも血のつながりは消えず、自分もまた子を生み、その子もまた子を生んで生きてゆく。生きてゆくしかないのである。

『シズコさん』の表現や描写には、母親から暴力や暴言を受けた箇所においてさえ、突き抜けたようなユーモアが感じられる。たとえば下田治美の『愛を乞うひと』のように目を背けるような惨たらしい場面よりも、微苦笑を誘われるところが多いが、佐野洋子は飾り気のない表現のなかに、その表現に至るまでに、どんな葛藤があったかを考えると胸が迫るのである。

 舞台はヨーコがすでに中年の域に達したところにはじまるため、それより以前のことは登場人物たちが「あのころの母さんはこんなふうだったよね」、「こんなことがあった」と台詞によって観客に伝えることになり、どうしても説明台詞になってしまうこと、作者が心のなかでつぶやいたことも、舞台では声に出して発せられ、そのことばの風情や印象が変容してしまうところも少なくない。また物語の進行として暗転を多用せざるを得ず、人物の語る台詞を反芻したり、場面の余韻を心に落とすにはいささか駆け足になるのもいたしかたないと思う。

 登場人物をここまでに限定したり、人物のキャラクターを替えたのも、試行錯誤の上での選択だったのではなかろうか。自分としては母シズコの妹(ヨーコの叔母)が、舞台ではどのような造形になるのか、弟の嫁テルコをいったいどなたが演じるのかも興味深かったのだが。映像であればドラマにドキュメンタリー部分をうまく融合させたバランスのよい構成が可能であったかもしれない。しかし『シズコさん』を舞台劇として観客に提示した劇団の心意気を受けとめたいのである。

 乳がんの手術を果敢に終えたヨーコだが、やがてがんが脳に転移する。息子に付き添われて病院へ出発するヨーコは、もうじき旅立つ人のかなしみを湛えたさわかな空気を身に纏っている。母が呆けてようやく和解できたヨーコは、もうまもなく母の眠るところへゆく。「静かで、懐かしいそちら側に、 私も行く。ありがとう。すぐ行くからね」。
 エッセイのしめくくりの文章そのまま(と思われる)のヨーコの台詞で幕を下ろす本作は、さわやかで気持ちのよい舞台だ。筆者観劇日はまだ堅さがあったがあ、これから日を追うごとに舞台のぬくもりが客席に伝わって、舞台と客席が互いに温め合うような雰囲気になるのではないだろうか。

 脚色の小池倫代自身もまた母の介護と看取りの苦悩を体験した。公演パンフレットに「愛するものはかなし」と題して、母にじゅうぶんな愛情を注げなかった自責が記された文章は読むものの胸をうつ。「どれもこれも、書かずにはいられないことでした」という結びを読んだとき、多くの人が、言わずにはいられないことを胸に抱え、それでも言えないことに苦しみ、言ったら言ったでなお苦しむという、まさに愛ゆえのかなしさを持つことを思うのである。

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