*川和孝企画公演+シアターΧ提携公演 公式サイトはこちら 両国/シアターχ 31日まで
日本近・現代秀作短編劇100本シリーズ(1,2,3)の83,84本めの作品が上演された。演出はいずれも川和孝。
☆林和(はやしやわら)作 『邪宗門』
大正4年発表 三代将軍徳川家光の治世で、禁制のキリシタンである城主の苦悩を描く1時間弱の物語。旅の若い侍が迷い込んだ古寺でひとりの老僧に出会う。老僧が語る城主と彼をめぐる人びとの悲劇とは?短編ながらかつらも着物もつけた本格的な作りだ。歌舞伎や新派以外で、時代劇が舞台で見られる機会はあまりない。
☆鴇田英太郎作『空気はぜひ必要です』
昭和4年発表 劇作家である夫が些細なことから妻と大喧嘩。壮絶な売り言葉に買い言葉、大暴れの果てに妻はうちを出てゆく。ふて寝する夫のもとに、次から次に訪れるご用聞きたち。妻がいなくてはおちおち寝てもいられない。苛立ちが頂点に達したところに、妻の妹がこれまた夫婦喧嘩をしてころがりこんでくる。彼女の夫の言い草が劇作家にそっくりで・・・夫にとって妻は空気のようなものだ、なくては生きていけない、空気はぜひ必要です、といったオチだったように記憶する。稽古を入念に行ったことが窺われる夫婦喧嘩の丁々発止、米屋、肉屋、酒屋、炭屋、洗濯屋、瓦斬(ガス)屋、パンフレットには撥兵とあるが、これは警官のことか?、裁縫所の女性までひっきりなしに訪れる様子はほとんどコントである。
名作劇場では、公演パンフレットにその回でとりあげた作者と作品の周辺について、川和孝による詳細な解説が掲載されており、大変勉強になる。それによれば林和は30編近い戯曲を残しているものの、上演の足跡があまり残されておらず、『邪宗門』上演の記録も見当たらないらしい。鴇田英太郎は病のために30歳で亡くなり、遺族の消息も不明なままという。林、鴇田ともに生涯の執筆戯曲が掲載されており、その題名だけで「読んでみたい、見てみたい」と思われるものがいくつもあり、今回のふたりに限らず、世に広く知られないまま眠っているあまたの作品と、それを記した人の思いを想像すると、胸が迫る。
ただ解説文を読んで触発される興味に対して、目の前の舞台がそれにじゅうぶん応えるものであったかは、正直なところむずかしい。戯曲の文体、構成、作者の言わんとしていることが、俳優にきちんと捉えられているのか。あの台詞の言い方、表情、動作が的確なのか。戯曲は目で読むだけでも楽しめるものだ。しかしおもしろければなおさら、俳優が肉体と声をもって舞台に立ちあがる様子をみたい、味わいたいと思う。今回の2本について、作り手は何を目指したのか、何を伝えたかったのか。演出家の意図がじゅうぶん俳優に伝わって、それが実現しているのかどうか、終始しっくりこなかったのが残念である。
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