因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

TRASHMASTERS vol.15『背水の孤島』

2011-09-15 | 舞台

*中津留章仁作・演出 公式サイトはこちら 笹塚ファクトリー 19日で終了
 『黄色い叫び』 (1,2)に続く、東日本大震災と福島第一原発事故を題材にした作品。ネットの情報で、「上演時間は3時間10分、途中休憩なし」と聞いており、それはなかろうと信じなかったが、上演前にスタッフから同じことを言われて噂はほんとうだったのかと恐れをなした。小さな劇場にパイプ椅子。しかも自分は最前列で舞台がこちらに迫ってくるようだ。観劇環境として、良好とはいいがたい。

 3部構成、いや2.5部構成というべきか。震災から40日後(50日だったかもしれない)の東京→同じ年の夏、被災した家族が暮らす納屋→数年後の未来、大臣の執務室と、短い暗転のあいだに舞台装置が鮮やかに転換する。結果的に3時間を越える長丁場、緊張も緩まず、眠気にも襲われず、舞台に集中することができたのである。

 こまつ座の『キネマの天地』はちゃんと休憩もあって2時間30分だったにもかかわらず、何度も意識が飛んだことを思うと、これはすごいことだと素直に認める。いや、こんな単純な比べ方は不適切か。ともかく舞台の俳優の熱気を客席がしっかりと受けとめ、劇場ぜんたいに緊張感が漲っており、双方でこの長時間を乗り切ったという感覚なのである。題材が題材だけに、空気は常に重苦しく、笑える箇所もほとんどなかったが、ずっしりとした手ごたえがあり、終演後の心持ちは爽やかですらあった。

 しかし本作を手放しで称賛することには、ためらいがある。『黄色い叫び』が初演と3か月後の再演で、印象がひどく変容してしまったことが主な要因であろう。もし本作が数カ月後に再演されたとして、どのような印象になるかと気構えるのである。舞台そのものが変化することもあるし、みているこちら側も微妙に変わってゆく。かといって、ここが足りない、あそこは矛盾している、よってこれこれ・・・と例を挙げて検証することにも、あまり前向きになれない。

 自分は連続ドラマの『SP』(岡田准一、堤真一共演)が非常に好きであった。ところがそれが映画になり、しかも野望編、革命編と続くにしたがって、いささか荒唐無稽な設定のエンターテイメント大作になったことが残念に思われてきた。SPは確かに特殊な職業であるが、テレビドラマに描かれた、ひとつひとつの任務を黙々と遂行する社会人としての地道な働きぶりが好ましかったからである。
 わかりにくい例えになるが、自分が『背水の孤島』をみながら抱いた違和感が、これに似ている。とくに後半部分だ。震災で被災し、納屋で受験勉強をしていた少年が東大を卒業して大臣秘書官になり、原発を推進し、その資金のために外国向けの国債を発行しようとしている大臣を相手にある事件を企てる。大臣もしたたかで、「邪魔者は消せ」的な行動を平気でとって、状況は二転三転ののち・・・という展開は確かにみるものを惹きつけるが、ここまで来ると震災や原発があたかも演劇的コンテンツのように思われてくるのである。
 こんなに劇的にしなくてもいい、もっと地味でかまわないのではないか。
 中津留章仁の劇作には大変な勢いがある。ぶっとばしているといっていい。これからもどんどん力作を生みだしてほしいと願う一方で、震災や原発事故等の現実から少し解放され、自由になってほしいとも思うのである。3時間超を飽きさせない筆力はすばらしい。だが「飽きさせない」よりも、ぎりぎりまで削ぎ落し、その部分を観客に想像させることも大切ではないか。「2時間の舞台で、これだけのことを見せてくれたのだ」と感じるほうが、自分にとっての喜びは深いと思うからである。
 

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