*別役実作 大鶴佐助・大鶴美仁音構成/演出 公式サイトはこちら 浅草九劇 6月17、18日配信
今月から始まった「浅草九劇オンライン」の第二弾は、この春亡くなった別役実の二人芝居『いかけしごむ』を、大鶴佐助・大鶴美仁音きょうだいが構成、演出、出演するものだ。舞台上手に手相の占い師用の小さな机と椅子、下手には「ココニスワラナイデクダサイ」という看板が立て掛けられたベンチがあり、天井からは電話の受話器がぶら下がっている。6月の暗い夜、籠を下げた眼鏡の女、鞄と黒いごみ袋、コーモリ傘を持った男が出会う。
「スワラナイデ」と書かれたベンチに座り、悠々と編み物をする女は、男を待ち受けていたかのように話をはじめ、彼の「ココロのヒミツ」を聞き出そうとする。男は困惑し、否定するが、妻が子どもを残したまま逃げてしまい、その子を殺して風呂場でバラバラにしたことにされてしまう。この辺りまで両者の力関係は女が優勢だが、妙な人度も圧倒的に女が強い。だが男も「イカ」を使った消しゴムを発明したために、「ブルガリヤ暗殺団」から追われていると言い出し、会話は迷走しはじめる。
キーワードは、女の口にする「リアリズム」、「リアリズムの世界」である。女が主張する「事実」と、男が主張するそれは一致しない。女はいかけしの話を否定し、「リアリズムっていうものは、もっと厳粛なものです」と諭すが、男は聞き入れない。お互いの事実が食い違い、「リアリズムの世界」の捻じれが激しくなったとき、物語は猟奇的な展開を見せ、一夜の幻のごとく幕を閉じる。しかし女の夜は永遠に続くようにも思われ、観客は自分の視点、足元を見失う。過去に渋谷のジャンジャンで体験した、あの夢のような感覚を思い出した。ここは劇場ではなく、自宅でパソコンを前にしているのに、空気が妙な具合だ。ここはどこだろう、今の、自分のリアリズムの世界とは?
大鶴きょうだいは2018年の唐組公演『吸血姫』での共演が記憶に鮮やかだ。父の作品に対する愛情と責任感がからだじゅうからあふれ出るような熱演で、別役劇での立ち姿が想像しづらかったのだが、台詞は明晰でからだの切れも良く、キャラ付けのしづらい別役劇へ果敢に取り組み、見応えのある舞台となった。このお二人で、別役初期作品の『マッチ売りの少女』の姉と弟を演じたらどうなるのか、もう10年くらい経たら男女の二人芝居『眠っちゃいけない子守歌』もおもしろそうである。大鶴佐助が『メリーさんの羊』の男2(三谷昇の役)を演じるところも想像できる。終幕は、唐組の紅テントの屋台崩しを想起させ、別役実と唐十郎の劇世界が混じり合って、遠い夜空に消えゆくかのようであった。
実際に劇場に足を運んで観劇したら、終演後、夜の浅草の町を歩いたらどんな心持になるのかを想像した。早く劇場に行きたいと心から願う。しかし、劇場(あそこ)とパソコン画面(ここ)の距離感の歪みの味わいや、劇場でならば、観客同士が言葉を介さずとも時間と場所を共有した感覚がもたらす安心感が無いために、文字通りたった一人で夜の闇に置いていかれた寂寥感がある。この感覚も確かに自分を魅了するものであり、劇場が閉じられた今得られた幸運であると思うのだ。
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