
遅れに遅れましたが、因幡屋通信74号が完成し、各設置先へ発送いたしました。今回より、福岡県福岡市博多区の「冷泉荘」さまにも設置が叶いまして、ご理解ご協力に心より感謝申し上げます。以下全文をアップいたします。リンクは観劇後のblog記事です。ご参考までに。
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大変な「推し」に出会いました
劇団新派の波乃久里子です
新しい演劇歴始まりの予感をどうぞ
久里子的リアリズム
演劇ユニット新派の子 特別企画
~さろん・ど・まろん~
北條秀司作 齋藤雅文構成・演出
『太夫さん』 代々木上原/ムジカーサ
「新派の子」は、劇団新派文芸部所属の劇作家・演出家の齋藤雅文が代表を務める演劇ユニットである。2020年10月に結成された。劇団の伝統を重んじつつ、コロナ禍における新たな活動を展開している。
今回の企画は、「まろん」こと波乃久里子の科白が聴きたいという齋藤の一念で実現したとのこと。晩春の一日、昼と夜二回限りの上演だ。第一部は『明治の雪』を第三幕から第五幕まで、第二部は『太夫さん』を第二幕のみという北條秀司戯曲の「抜粋再編集朗読劇」である。
舞台美術、大道具小道具、衣裳、鬘などすべて揃えた大劇場の上演がフルコースのディナーとすれば、これはその中から極上の一皿を味わう、文字通りの特別企画と言えよう。会場のムジカーサは礼拝堂を思わせる音楽専用のホールで、俳優は椅子に座って台本を読み、出番のないときは両袖に控えるシンプルな朗読形式だ。
第二部の『太夫さん』は、敗戦から3年後の京都の島原遊郭の妓楼を舞台に、女将のおえい(波乃)と昔なじみの善助(曽我廼家文童)、おえいが手塩にかける喜美太夫(鴫原桂)たちがしみじみとした物語を織りなす。朗読であることを忘れるほど劇の情景がいきいきと立ち上がり、この春夏でもっとも豊かで温かな観劇体験となった。
記憶にある限り、わたしの最初の新派体験は2000年8月(blog開設前)、井上ひさし作、木村光一演出の『頭痛肩こり樋口一葉』である。主役の一葉(樋口夏子)を演じる久里子は、それまでこまつ座公演で何度か観た俳優とは、どこか異なる佳き風情があった。
同時期に放映されたNHK大河ドラマ『葵~徳川三代』において、久里子は浅井家三姉妹のお初を演じている。茶々が小川眞由美、お江が岩下志麻という強烈で濃厚な姉と妹に挟まれた人物だが、姉にお家の安泰を必死で説く台詞であるのに、いかにも時代劇風ではなく、仮にそのあと夕餉のおかずや風呂の湯加減を話しても不自然に聞こえないほど、自然でさらりとした日常性があったのである。
追って記憶を辿ってみよう。
『ふりだした雪』(久保田万太郎作 青井陽治演出 2006年1月 シアタ1010)の主人公おすみは、戯曲冒頭に「もと芸妓をしたこともある不幸な女」と記されており、最後まで本音をはっきり言わないまますがたを消す。熱演力演を拒否するかのような人物だ。
一転、『京舞』(北條秀司作 大場正昭・成瀬芳一演出 2014年11月 新橋演舞場)の愛子は舞の師匠に厳しく鍛えられ、挫けながらも愚直に稽古を繰り返す不器用な娘である。必死のすがたが可愛らしく、甥の中村勘九郎が夫役でも違和感がない。
続いて早稲田大学演劇博物館主催の展示会「新派 SHIMPA―アヴァンギャルド演劇の水脈―」関連企画の朗読劇 リーディング新派inエンパク『十三夜』(樋口一葉原作 久保田万太郎脚色 齋藤雅文構成・演出 2021年12月 大隈講堂小講堂)のおせきは、いったんは激情を吐露するも父に諭され、不幸な結婚生活を耐え忍ぶことを決める。
そしてさらに一転、今回の『太夫さん』のおえいは、登場の場面のト書きに「口はうるさいが無類のお人良しで、喜怒哀楽の変化がはげしい独身の五十女」とある通り、おすみやおせき、愛子とも異なる人物である。
芸域が広いのは確かだが、かといって芸達者と一括りにはできず、むしろ久里子は不器用な人だと思う。この芸風、芸質はどこから生まれ、どうやって構築されたのだろうか。歌舞伎の名門の血筋に加え、こちらの想像もできない研鑽を積んで身に着けたもの。一所懸命だが、自身の頑張りを前面に出さない。あくまで自然でさらりとしている。舞台に立っている人なのに、客席のわたしのすぐそばに居てもおそらく違和感がないであろう不思議な雰囲気。まさに「久里子的リアリズム」なのである。
この久里子の至芸をフルコースで堪能したのが、10月の新派の子 錦秋公演 河竹黙阿弥没後130年記念の『新編 糸桜』(河竹登志夫原作『作者の家』齋藤雅文脚色・演出 日本橋公会堂/日本橋劇場)である。
久里子は父・黙阿弥の作品を守り抜く娘の糸を演じた。終幕、重い病床の夢うつつの中で、糸は若き日の父(石橋直也)と再会する。この場面の久里子は子どものようにはしゃぐのだが、いわゆる「作り声」をするなど、単純に子どもに戻る演技ではなかった。 あくまで病み衰えた老女であり、それまでの年月を背負ったままで父に甘え、褒められたことを喜ぶ。造形の手つきを感じさせないから、糸の嬉しさがいきいきと、やがて去っていく父の背中を見送る淋しさがいっそう切なく伝わってきたのである。
ここで思い出すのは、ラジオドラマ『大つごもり』(樋口一葉原作 久保田万太郎脚色 1968年放送、1997年再放送視聴)で、62歳にして主人公のおみねを演じた杉村春子のことである。井戸端で転び、「ああっ」と叫ぶその声はまぎれもなく娘のものであった。しかし久里子の娘の演技がそれと同じかと言えば、やはりどこかがはっきりと違うのである。
新派も『大つごもり』を上演しており、久里子はおみねを演じている。
残念ながら久里子のおみねは未見であり、もしかすると歌舞伎、新劇まで網羅してたどり着いた新派の「久里子的リアリズム」は、まだまだわたし自身の中で明確になりそうもない。それを探ることが今後の嬉しい課題になりそうだ。劇団新派の本公演はもちろん、願わくば、演劇ユニット新派の子のさらなる展開を心待ちにしている。
【春から夏のトピック】
☆4月☆
*朱の会 Vol.6
劇的立体朗読―怪異と幽玄ノ譚
神由紀子構成・演出・出演 中野スタジオあくとれ
小泉八雲や芥川龍之介はじめ、江戸川乱歩、夏目漱石、意外や和田誠まで数々の短編は漆黒の闇、黒のイメージだが、群馬県出身の詩人・大手拓次の詩が深紅の薔薇のごとく、鮮烈なイメージで彩りを添える。『吉備津の釜』(石川淳(『新釈 雨月物語』所収/原作・上田秋成『雨月物語』)は後半の白眉。
☆4月
*岸田今日子記念
円・こどもステージ№41 演劇集団円・シアターX提携公演
國吉咲貴作 後藤彩乃演出『ぼくは人魚』 両国・シアターX
人魚と言えば人魚姫、だから女の子という思い込みへの気づきに始まり、自身のアイデンティティを探す人魚の冒険と挫折、少し明るい未来を描く物語に引き込まれた。子どもはもちろん、大人も見たい舞台である。座組に体調不良者があり、後半の上演が中止されたのはほんとうに残念で、いつか出会い直しの機会があることを切に。
*歌舞伎座新開場10周年記念
團菊祭五月大歌舞伎 今井豊茂脚本 尾上菊五郎演出
「音菊眞秀若武者」(おとにきくまことのわかむしゃ)
寺嶋眞秀改め初代尾上眞秀初舞台である。愛らしい少女から凛々しい若武者へと鮮やかに変身し、踊や立ち回りも堂々と立派だ。「連獅子」を観る日もきっと遠くない。
―5月中旬、明治座『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』たけなわの折、事件が起こった。代演の若手の奮闘とそれを支えた共演者、スタッフ関係者の労苦は想像を絶するが、公演は続行され、好評を博した。歌舞伎の底力だ。マスコミ報道に惑わされることなく、若手や一門の将来が大切に守られ、少しでもよい方向に収まることを祈り願うのみ―
☆6月☆
*山本さくらパントマイム
第51回公演
『DOOR―扉にまつわる物語』 ザムザ阿佐谷
パントマイミストの山本さくらが構成・演出・出演するライヴ公演を四年ぶりにリアル観劇した。タイトルの通り、今回のテーマは「DOOR」である。 扉が開かないこと、開くこと、どちらにも物語があり、喜びや悲しみがある。山本さくらの動きには、紙飛行機を折る手つきから、紙がどんどん小さく畳まれる様子、紙の厚み、手触りまで感じさせる。
☆7月☆
*新作歌舞伎『刀剣乱舞 月刀剣縁桐(つきのつるぎ えにしのきりのは)』「刀剣乱舞 ONLINE」原案 松岡亮脚本 尾上菊之丞、尾上松也演出
新橋演舞場
ゲームやアニメに映画、そして歌舞伎も「思い切り楽しんでほしい」という作り手の志、それを受け止め、拍手で応える観客の願いは変わらない。
尾上松也を中心に尾上右近、中村鷹之資、中村莟玉、上村吉太朗、河合雪乃丞の刀剣男子は縦横無尽の大活躍。 中村歌女之丞、大谷桂三らが脇を守り、人間国宝の中村梅玉がさらりと上品に締める贅沢な座組だ。カーテンコールは写真撮影可、花道に演者が「ランウェイ」のごとく登場する大サービスで、客席は興奮のるつぼに。「何百年後かに古典歌舞伎として愛される作品になるように」という松也の壮大な願いは、彼のプロデューサー、演出家としての適性と可能性を示すものだ。「とうらぶ」初心者の自分も同時解説イヤホンガイドのおかげで楽しむことができた。
*劇団文化座公演164
金義卿原作 李惠貞翻訳 金守珍・佐々木愛脚色 金守珍演出
『旅立つ家族』 東池袋/あうるすぽっと その後全国を巡演
日本占領下の朝鮮半島に生まれ、第二次世界大戦、朝鮮戦争、南北分断の時代に翻弄されながら、芸術への熱情を貫いた実在の画家・李仲燮と彼の妻・山本方子を中心とした日韓両国の人々を描く。劇団代表の佐々木愛には新しい世界に果敢に飛び込み、柔らかく受け止める懐の深さがあり、それが劇団ぜんたいのエネルギー、魅力、「劇団力」に結実した舞台だ。
*ドラマティックリーディング&トークセッション
樋口一葉作 湯川せとな構成・演出 『十三夜』 港区立男女平等参画センターリーブラホール
人物の台詞が「」書きされず、地の文ともに読点で連なっていく一葉の小説の原文を四人の俳優が読み継ぎ、演じ継ぐ。舞台奥に人力車をどっしりと置きながら、敢えて使わないことで生まれる劇世界の空気。後半は一葉研究の澤田章子とNPO法人レジリエンス代表の西山さつきが、作品の背景の考察と現代のジェンダー意識との比較について語り合い、格調高い朗読の感興を削ぐことなく、新しい視点で一葉作品を味わう一夜となった。
☆8月☆
*劇団民藝公演KEIKOBA
遠藤周作作 小笠原響演出 『善人たち』
川崎市麻生区黒川/劇団民藝稽古場 一昨年発見された未発表戯曲がおよそ半世紀の年月を経て初演の運びとなった。牧師になる志を抱いてアメリカの神学校に留学した日本人青年と、彼を受け入れた地元の一家と教会の人々の温かな交わりが、日本軍の南方侵攻の激化と日米開戦によって崩壊していく。信仰と人間の現実、キリスト教と日本人について問い続けた遠藤文学のテーマが凝縮された重苦しい物語だが、人々が苦しみ、傷ついた果てに見える風景には、救いと希望もあるはず。
*玄海灘を上演する会主催 異文化を 愉しむ会提携
金達寿原作 有吉朝子(劇団劇作家)脚色 志賀澤子(東京演劇アンサンブル)演出
『玄海灘』 調布市せんがわ劇場
日本の植民地時代末期の京城(現・ソウル)で暮らす日本人と朝鮮人の葛藤と苦悩を描いた長編小説が舞台化された。絶対的な支配関係において、「恨」(ハン)を滾らせながら、「情」にほだされ、傷ついても歩き続けてゆく人々のすがたが胸を打つ。
★展示会★
*「坂東玉三郎 衣裳展 四季・自然・ 生命―時の移ろいと自然美―」セイコーハウス銀座ホール
歌舞伎俳優の坂東玉三郎愛蔵の舞台衣裳より特別に選定した10点が展示された。展示ごとに演目名(例・助六由縁江戸桜)、玉三郎が演じた役名(同・三浦屋揚巻)、衣裳名称(同・白精好地牡丹墨絵金泥裲襠)作成に携わった匠の方々についての詳しい解説が添えられている。芸術すべてに造詣の深い玉三郎ならではの企画であり、美しい衣裳の数々を至近距離で鑑賞できる貴重な機会となったが、玉三郎は大劇場での公演から退くと示唆しているのが気がかり。やはり歌舞伎の舞台で、それも世話物をもっと観たい。
★映画★
*ナショナル・シアター・ライブ 2023
トム・ストッパード作 パトリック・マーバー演出 ウィンダムズ劇場(ロンドン)柏木しょうこ字幕翻訳 『レオポルトシュタット』
イギリスで上演された話題の舞台を映画館で上映するのが「ナショナル・シアター・ライブ」である。劇場の機構案内や演出家へのインタヴューなどによる導入、工夫を凝らしたカメラワークによって、日本に居ながらにして本場の舞台を味わえる。本作はウィーンに暮らす裕福なユダヤ人一族の半世紀に渡る激動の日々を描いた大作だ。 休憩無しの二時間余、この日の観客は20人足らずであった。「登場人物が多いから、事前に勉強しとかないと大変ですよね」と話していたパンフレット売り場の映画館スタッフもいっしょに、映画の感想を語り合いたくなった。
*ロマン・ツィーレク原作 トマーシュ・ヴ ァインレプ&ペトル・カズダ監督/脚本 ミハリナ・オルシャニスカ主演『私、オルガ・ヘプナロヴァー』
実在の人物であるオルガとの出会いは、昨年秋の劇団劇作家公演 ドラマリーディングミュージカル『キラークィーンズ』の登場人物として。
家族や友だち、恋人との関わりの中で傷ついた若い魂は、彷徨の果てに路面電車を待つ人々の列にトラックで突っ込み、死刑判決を受ける。心がひりつくような様相を淡々と描くモノクロのドキュメンタリータッチの映像が、満員の客席を打ちのめす。
*トッド・フィールド脚本、製作、監督『TAR/ター』
タイトルはケイト・ブランシェット演じる指揮者リディア・ター。実在の音楽家や指揮者の名前が次々に出てくるが、ター自身はフィクションということを次第に忘れ、この傲岸不遜で、音楽にすべてを捧げながら、裏切られ、孤立していくタ―の一挙手一投足に魅入られていく。「体当たりの熱演」「役になりきる」といった凡庸な措辞は、ブランシェットの前では木端微塵。
音楽は人の心を慰め、豊かにする。 ターはその音楽を聴衆に届ける伝道師であり、創造者だ。しかしそのために容赦なく相手を傷つけ、やがて自分も壊されてゆく。それでも音楽は残るという残酷。
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