因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団ロ字ック第十一回本公演『荒川 神キラチューン』

2016-06-30 | 舞台

*山田佳奈作・演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場 (1,2,3,4,5,6,7
 まずはお詫びを。6月の観劇予定に掲載したロ字ックさんの過去記事のリンクが、途中からなぜか「みつわ会」の久保田万太郎作品公演になっておりました。初観劇の『鬼畜ビューティ』から、前回公演『鳥取、イヴサンローラン』までリンクを訂正いたしました。申し訳ありません。
 さて今回の公演は、2014年の第八回公演の再演である。上演したサンモールスタジオにおいて、2014年度最優秀団体賞、さらにこの年のCoRich舞台芸術まつり!2014春においてグランプリを受賞した。当時の観劇記事を読み直してみたのだが、実のところイメージがなかなか思いだせなかった。ここはむしろ初演との比較に終始せず、新鮮な気持ちで舞台に臨めると捉えた。

 ロ字ックの舞台の大きな特徴は、音楽の使い方だ。いや、「使い方」というより、音楽の関わらせ方というのか。演劇において音楽はとても重要な要素のひとつだ。どの場面でどんな音楽を聞かせるか、既成の曲にせよオリジナルにせよ、観客に絶大な影響を与えるからである。ロ字ックの場合、作・演出の山田佳奈がレコード会社のプロモーター、つまり音楽のプロをしていたという経歴があり、音楽へのこだわりは特別なものがあると思われる。ロ字ックでは、登場人物はしばしばマイクを持ち、台詞を歌う。それもミュージカルのように歌詞をメロディにのせて歌うのではなく、激情をぶつけるように。失礼ながら決して美しい歌声でも達者な節まわしでもない。その人物の心の底からの叫びである。この表現は強烈なエネルギーを発し、観客は否応なく劇空間に引きずり込まれる。

 このたびロ字ックは、東京芸術劇場シアターウェストに進出した。初演のサンモールスタジオに比べると舞台も客席も広い。小さな空間ではときおり息苦しくなるほどの上記の表現が、いささか拡散してしたかのような印象であった。シアターウェストは客席もゆとりのある作りなので、劇空間に巻き込まれるというより、距離ができてしまったのではないか。その反面、主人公が中学時代の場面で、担任教師と語り合うところなどは、二人の会話をじっくりと聴くことができた。初演でもとくに心に残ったシーンであるが、今回はとくに教師役のとみやまあゆみが、けたたましいやりとりが少なくない物語の中で辛抱強い演技で舞台を引き締めていた。出演する作品の性質や、与えられた役柄によって演技を変えるのは俳優として当然のことではある。しかしとみやまあゆみには「湿り気」とでも言おうか、独特の体温が感じられて、演じる人物、登場する場面、物語ぜんたいが複雑になり、より味わい深いものになるのである。

 次回本公演は来年1月、下北沢の本多劇場で行われるとのこと。劇世界を壊しながら構築し、自己愛ゆえに周囲も自分自身を傷つけていく。山田佳奈とロ字ックの闘い方が自分は非常に好ましいを思う。闘い方とは、作劇の手法であるとか、創作の姿勢ということなのだが、ここは敢えて物騒な表現を使いたい。そういうエールの贈り方をしたくなる舞台なのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 猫の会ツアー公演 『ありふ... | トップ | 2016年7月の観劇と句会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事