*山田佳奈脚本・演出 公式サイトはこちら 下北沢/シアター711 10月11日まで (1,2,3,4,5,6)
再開発途上の下北沢、下水の臭いが上がってくるようなスナック「イヴサンローラン」が物語の舞台である。ママは病気療養中で、ホステスたちが常連客を相手にどうにか切り盛りしているが、「チーママ」が手首を切ったため、新しくバイトを入れたりなど、店はさらにむずかしい状況に。
本作は再演である。初演は2011年11月で、さまざまな面において東日本大震災の影響が色濃く見えていた時期だ。自分はそのころ、まだ劇団ロ字ックの存在を知らなかった。
ここののホステスのような女性がひとりでもいたら、その職場は大変だ。訪れる客たちも同様で、地道な肉体労働者の下永さん(那木慧)が唯一の例外としても、とんでもない輩が下世話な話をけたたましく繰り広げる2時間弱である。もしこれがはじめて見るロ字ックであるなら、驚いて困惑するばかりであったろう。
見苦しいまでにもがき、周囲の迷惑もかまわず言いたい放題、やりたい放題の女たち男たちである。しかしながら「友だちの○○にそっくり」とは言えないまでも、フィクションの世界にだけ存在する極端なキャラクター、ありえない展開では決してないのである。服装とヘアスタイル、口調、やることなすことすべてがとんでもない、アイドル志望の萌(日高ボブ美/ロ字ック)は別格として、屈折した自意識が服を着ているような主人公の美和子(堂本佳世/ロ字ック)、水商売意外でもできそうな堅実タイプの潤子(水野小論/ナイロン100℃)、つきあう相手が良ければたぶん幸せになれるだろう亜矢(小林春世/演劇集団キャラメルボックス)など、性格やふるまいのどこかが自分と似ていることを感じる観客は少なくないはず。
小悪魔と言っては小悪魔が気の毒になるくらい性悪な青森出身のちずる(小川夏鈴/東京ジャンクZ)は、敢えてあのようけたたましい造形に演出をしたのであろうが、もう少し抑制した演じ方であれば、共感の幅は広がっただろう。もとは浅草のストリッパーだったという謎めいた杏(遠藤留奈/THE SHAMPOO HAT)にしても、本来は身持ちの堅い女性であると想像する。終盤近くなって突如登場するリストカットのチーママ和美(ロ字ック主宰・山田佳奈、炸裂の熱演!)は、迷惑度最高の毒吐きキャラである。金色の髪は猛獣のたてがみのようで、文字通り「キ○○○に刃物」だが、彼女とて「まったく理解できない、無理」と引くには至らない。
彼女たちいずれも、観客の心の奥底にいるかもしれない自分、移ろい、乱れる心の一部が表出してしまった「ありえたかもしれない」存在なのである。そこにロ字ックの「リアル」を見る。
接客業には向きそうにない美和子がなぜこの店に来たのか。ボトルキープしたまま長いこと来店しないあのお客さんは、彼が来なくなってママは淋しそうにしていたなど、ともすれば単なる説明になりそうなところを、劇作家は台詞ひとつひとつに周到に伏線を張り、かといってあざとい展開ではなく、自然に確実に示していく。そしてこの「鳥取イヴサンローラン」という奇妙なタイトルの意味、そこに込めた思いを、客席に伝えるのである。
公演リーフレットに記された山田佳奈の挨拶文には、過去の自分の脚本を読みかえしたときの気持ち、2011年から4年経って自分がどのように変わったかなどが飾り気のないことばで記されている。そして劇作家は、「この作品はまぎれもなく、あの時のわたしの脚本」と言い切り、「いまの自分から、過去の自分に、よく頑張ってきたねという気持ちと、脚本をお借りしますという敬意の気持ちで」と、再演の心意気を語るのである。
再演ではあるが、新作のつもりで向き合う。いまの自分は過去の自分とはちがうのだから・・・と決意を語る作者は少なくない。観客もまた、それに気持ちを同じくするところがある。しかし山田佳奈は「あの時のわたしの作品である」と言う。
舞台を見ながら自分の心に湧いてきたのは、「わたしはあのときの(4年前)山田佳奈と劇団ロ字ックに、いま、まみえたのだ」という感慨であった。とんでもないキャラの人々が大騒ぎする物語をわりあい自然に受けとめられたのは、これまでに何度かロ字ックの舞台を見て慣れてきたからではなく(失礼)、ロ字ックの劇世界の原型、根っこに触れることができたという手ごたえのためだ。映像ではなく、舞台だからこその貴重な感覚であろう。
犬猿の仲だった亜矢と和美が、終盤のある事件を境に仲良くなったというエピソードに、井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』で、いがみ合っていた元旗本のお嬢様のお鐄と、酌婦に身を落としたお八重が、刺し違えてふたりとも死んで幽霊になってからは「ごくフツーの仲」になるというくだりを思い出した。いや、あまり関連はないのだろうが。
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