14日(土)午前、雨の中を加東市下滝野の知人を訪ね、その足で五峰山への坂道を桜ヶ丘墓地に向かって車を走らせました。
明日は76回目の終戦の日を迎えます。神戸新聞では昭和20年7月にあった米軍機による下滝野空襲についての調査記事を連載しています。このブログでも父の日記に記された空襲の記述を紹介しました。
この桜ヶ丘軍人墓地については、この歴史ブログで平成28年(2016)5月8日投稿で紹介していましたが、下滝野にお住まいの長谷川純子さんから「英霊供養塔」のことをお聞きし、調べてみたいと思っていました。しかし、軍人墓地にはそうした塔は見当たらなかったような思いもありました。
軍人墓地の少し上、五峰山の斜面に下滝野地区の桜ヶ丘共同墓地が広がっており、その下に駐車場があったのでそちらに車を進めると、何と墓地の北東の隅に小高い土盛りがあり、その上に石塔が建っているではありませんか。ああ、これが英霊供養塔かと思い、さっそく車を置いてお参りをしました。
階段を上り、台石の上に建てられた大きな石碑を見上げると、上部に「殉国英霊」、その下には「供養之碑」と刻まれていました。碑の手前の右側に建立経緯を記した碑があり、次のように刻まれていました。
この櫻ヶ丘は多可加東加西の三郡の中心なり 昭和二拾七年四月二十日一市三郡の英霊供養の為この地にて五壇護摩供を修す 尓来正に十五周年これを記念し日清日露第二次世界大戦の英霊六千余柱慰霊のため 茲に殉国英霊供養之碑を建立永く祀る
昭和四拾貳年四月貳拾日
願主 下滝野町建立
森岡司暁書
長谷川さんからは、この殉国英霊之碑の建立、桜ヶ丘墓地建設の経緯についてもお話を伺いました。この建立に尽力された長谷川さんのお父さんが除幕式で式辞を述べられたとのことでした。五峰山は三郡(現在の小野市以北の4市1町)のほぼ真ん中に位置します。光明寺へのお参りや五峰山麓の河高八幡神社の厄神祭にもこの一帯から多くの人がお参りしたと聞いています。近代日本の礎となられた英霊6千人の御霊供養の地として相応しい場所だと思いました。今日は雨雲が低く垂れ五峰の山も眼下の滝野の市街も煙ってよく見えませんが、終戦の日の前に英霊の御霊に導かれたような気持ちになりました。