ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和20年9月7日ー戦死公報あり町内で祭壇作る

2021年08月08日 15時47分39秒 | Weblog
 昭和20年(1945)の父の手帳の9月7日の項に戦死公報のことが書いてあります。

 7日 臼井勇雄君ノ戦死公報在リ
    8組会員祭壇作ル

 臼井勇雄君とは同じ町内(8組、現在の加東市社3区中田町)の人。海軍の特務艦「間宮」(食料などの輸送にあたった給糧艦)の乗組員として任務についておられたましたが、昭和19年12月21日にフィリピン沖でアメリカの潜水艦の攻撃を受け、間宮は沈没し、戦死されました。遺族の臼井久雄さんは当時まだ2歳ぐらいだったとのことで、父親のことはほとんど憶えていないと話しておられました。
 その臼井勇雄さんの戦死公報が終戦から20日余り経った9月7日に届いたのでしょう。町内会で祭壇を作り、翌8日の項に「完了」と書き留められていました。
 もうすぐ76回目の終戦の日を迎えます。遺族会の高齢化、コロナ禍ということもあり、全国戦没者慰霊祭への参列も各県少数に制限ということがしばらく前の新聞記事にありました。社の明治館前広場の忠魂碑で静かに祈りを捧げたいと思います。
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トンボの指定席を占拠-真夏の庭で

2021年08月08日 05時19分29秒 | Weblog
 

 庭の一角に支柱として立てた竹の先端は、トンボの指定席。このブログでも紹介したことがありますが、その席をセミの抜け殻が占拠していました。
 昼間に庭に出ると驚いて一斉に飛び回るアブラゼミ。その数は何十匹といっていいほどです。セミの抜け殻は低い草の先から2階のベランダの高さのナンキンハゼの枝の先まで残っており、あらゆる場所で羽化していることがわかります。とうとうトンボの休憩の指定席の竹の先まで占められてしまいました。ここにトンボが止まってくれればいいのになあ、などとその光景を思い浮かべてしまいます。
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