ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

明治20年代の高等小学校教科書「兵庫県管内地誌」から

2021年08月11日 04時55分04秒 | Weblog
 

 市内の旧家に保管されていた古い教科書を見せていただきました。ご先祖が使用されたもので、明治時代半ばのものでした。
 その中に高等小学校の教科書「兵庫県管内地誌」があり目を惹きました。「播磨國」の章では、位置及区別、地勢、気候、山岳、川流、道路、名邑、民業及物産の各項目にしたがって記述されています。まさに地誌です。
 加東市域に関する記述を拾ってみると、名邑の項に「社村」があり、次のように記述されていました。

 社村は、加東郡にあり、郡役所及裁判所のある所にして、戸数数千余縣社あり佐保神社と云ふ

 川流の項に「加古川」の項があり、次のように記述されています。

 加古川は、丹波の氷上郡より来り、荒田(多可)・東條(加東)・在田(加西)・三木(美嚢)の諸水を合せ印南・加古両郡の境をなし、下流二に分れ、本流は高砂の東に至り海に入る、長さ殆二十五里、舟の通ずること十五里なり、分流を洗川と云ひ印南郡伊保﨑村に至り海に入る、

 播磨國の章の最後に地図が挿入されていました(写真)。
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