ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

貞守の道標-田沼時代から

2008年06月19日 04時57分10秒 | Weblog
 加東市貞守(長貞地区)に一本の道標が立っています。この歴史ブログで常夜灯を紹介しましたが(平成19年3月)、道標はそのすぐ近くの用水路に沿った旧道に立っています。
 建立年は安永八年(1779)と刻まれています。江戸時代の半ば、あの田沼意次が老中の頃ですからずいぶん古い道標です。アメリカ合衆国の独立宣言が出されたのがこの3年後ですからね。
 道標の上部には仏様が刻まれており、その下に「左 きよミす たんば 道」「右 大川瀬 あい道」と刻まれています。すぐ側を用水路があり、ゆったりと水が流れていますが、大川瀬からの水だそうです。
 
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2 コメント

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「大川瀬からの水」 (畑初心者hajimeno_hatake)
2012-01-07 12:59:11
この水をめぐる長い争いが昔あったそうです。確か「兵庫県一之井堰~」といった文献等に詳しい記述があります。私が住んでいる加古川の図書館に蔵書があります。明石、神戸の図書館にもありましたのでお近くの図書館でも探せば見つかるかもしれません。
他にも「近世における河川潅がいと入会慣行 (II)」等、この水の歴史をまとめた資料は数件あるようです。奥深いものですね。
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Unknown (ブログ管理人)
2012-01-07 20:13:45
コメントありがとうございます。一之井堰に関しては、兵教大の院生だった高校の先生が研究論文を書いておられます。大川瀬からの水は戦後鴨川ダムの建設を通して加東小野の田園を潤すことになります。水利はまさに農の命。先人の苦労を想うとともに歴史をしっかり知ることが大切だと想っています。ご案内本当にありがとうごじます。
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