ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

状ヶ池の日の出

2014年03月24日 04時50分27秒 | Weblog
 23日(日)、日の出の瞬間に状ヶ池の堤に立っていました。状ヶ池は加東市社の加東市新庁舎の東にある池で、市民の憩いの公園になっています。新庁舎と池の間を国道372号が通り、池の東には市立社中学校、県立社高校があります。
 朝の新鮮な空気に誘われて歩いていると、ちょうど状ヶ池公園で日の出の瞬間に出会ったということです。
 池にはコハクチョウ、カモなどの水鳥が泳いで、水面に直線を引きながらこちらに向かって来ました。東に広がる平坦な嬉野台地からまばゆい光を放ちながら朝日が昇ります。荘厳な日の出の光景でした。
 ちなみに状ヶ池は赤穂義士の吉田忠左衛門と関係があります。池の名前の由来は次の通りです。(公園の銘板)


状ヶ池の由来

 この地は、元禄時代に播州赤穂の浅野候の領地だった。当時の郡代、吉田忠左衛門の監督のもとにこの池が築造されていたが、完成間近の元禄十四年三月十四日、主君が松の廊下で刃傷事件を起こしたと、赤穂から「状」(手紙)が早馬で届けられた。吉田忠左衛門は、すぐに赤穂の白に引きあげたが村人たちは池を立派に完成させ、この池を「状ヶ池」と呼ぶようになったと伝えられている。
 ここに社町は、水鳥を浮かべ、学園都市にふさわしい「状ヶ池公園」を完成した。

   昭和五十七年五月                  社町
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