この写真は、昭和30年代初め頃の社地区の墓地の一つである、百旗墓地で撮られたものだと思われます。
百旗墓地は、加東市社の市街地を見下ろす東の高い所にあり、隣の木梨地区との境を接しています。
百旗(ひゃくはた)の地名は、源平合戦の一ノ谷の合戦の前哨戦となった三草山合戦で、平氏を急襲し、逃げる平氏を追ってこの台地までやってきた源義経軍が白旗を百本立て集結の目印にしたという言い伝えからついたものだと伝えられています。百旗立(ひゃくはったい)とも呼ばれています。
写真が撮られた当時の墓地は、木や草が茂る山のようでした。母と私、弟が墓地の道を歩いて下りてくる所を父が撮したものでしょう。この道が、わが家の墓に通じる道なら、今はコンクリートの道になっています。写真の中の母も弟も、そして、この写真を撮った父も、この百旗墓地のわが家の墓に眠っています。