この写真には、「町議対吏員野球大会 33.8.2」と父の特徴のある字で書かれています。昭和の大合併後の新社町時代の昭和33年(1958)の夏に行われた、町会議員と役場職員の野球の試合で両チームがホームベースをはさんで整列したようすを撮したものでしょう。
この場所は、嬉野野球場(※私の記憶ではそんな呼び方だったような)だと思われます。現在の県立教育研修所(県立社高校南)がある場所で、当時は野球場と自動車学校があったと思います。バックネットの向こうに見えるのは、五峰山光明寺の山景です。嬉野高原(当時はそう呼ばれていた)からの眺望はよく、さえぎるものがありません。松の木が生えています。
父の姿は、右の一番手前にあります。義足の足で野球をしていたんですね。