この頃、自分が小さかった頃のことをよく思い出します。
今から5、60年前の昭和時代、私が小さかった頃は、この辺りでも、冬にはよく雪が降っていたように思います。そう思っているだけで、実は雪が降った記憶だけが残っていて、そう思うのかもしれませんが。窓から上体を乗り出し、空を見上げると、灰色の雪が次々と落ちてきて、口を開けて受けようとした場面などは鮮明に蘇ってきます。
また、小学校の理科の宿題だったと思うのですが、アルミの弁当箱の内側に線を書き、その線まで水を入れて、一晩外に置いておくと、朝には、水が凍って線の上まで盛り上がっていました。先生が、水は凍ると体積が増えることを実験で確かめさせようとされたのでしょう。当時は、結構不思議に思ったものです。実は今でも原理はよく分かりません。ただ、冬になると、屋根の上の太陽熱温水設備に送る管の水を抜いておかないと、破裂して水が屋根に流れ出すことがよくあったので、水は凍ると膨張するということを体験的にはよく知っていました。
子どもの頃、1月15日の成人の日に町内会の初参会が行われていました。私の住んでいる町内会では、集会所がなかったので、各家を持ち回りで、会場としていました。ある年に、わが家が会場となり、町内会の婦人会の皆さんが台所で、お酒を燗したり、お茶を出したりにぎやかに動きまわっていました。家の中の一番広い部屋で、総会が開かれ、行事や会計報告などが行われ、やがて、会長選出の話し合いに入ると、お酒が入っているので、お前がやれ、いやお前が、などと譲り合いが延々と続きます。朝から始めて夕方までやっていたような記憶があります。当時の父親らの世代の懐かしいおじさん達の顔と声が浮かんできます。今では、みんなあの世に逝かれてしまいました。もちろん、婦人会のおばさん達もですが、中にはまだご健在の方もおられます。
中学生の時にわが家に番が回ってきた年は、家にいても居場所がないので、三草山に一人で登ったことがありました。今のように登山道が整備される前の話ですので、国土地理院の地形図とコンパスを手に、沢から登り、尾根筋へ出るなど、道なき道を登っていったのでした。途中、炭焼き窯のあとがあったり、雪の吹きだまりがあったりして、結構な冒険でした。
家に帰って父親から「三草山をなめたらあかん。遭難した人もいる」と注意されたことを今も憶えています。心配して言ってくれたのだろうと思います。