ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

空と大地の間に-社(やしろ)の街遠望

2017年12月05日 05時22分54秒 | Weblog
 明るい光に満ちた広い空と豊かな実りの収穫をおえた広い大地。その向こうのゆるやかな丘に加東市社の街が望めます。ここは加古川に架かる加東大橋を渡って東に向かって平坦な田圃が続く中を真っ直ぐに延びる国道372号から見た景色です。
 加古川の河岸段丘が西から東へと段々に高さを増します。標高30メートルぐらいから、社高校あたりでは標高100メートル近くまで上がり、嬉野台地の高いところでは120~140メートルになります。
 市街の向こうに屏風のように横たわっている山並みが源平の古戦場としてしられる三草合戦の三草山です。さらにその左手奥には西国25番霊場の播州清水寺が見通せます。社の市街は昔、松の木が生い茂っていたと伝えられていますが、佐保神社の門前町として、また、西国霊場巡礼の宿場町として、京、丹波から播磨、西国へと抜ける重要な交通路でありました。
 この広い空と平坦な台地の景色は千年の昔に戻っても変わらないでしょう。今は豊かな穀倉となり、国道が交差し(175と372)、東西南北の交通の要となっています。ちなみに田圃の向こうに見える白い建物は兵庫県社総合庁舎や兵庫県加東警察署です。はるか向こうの高いところに県立社高校のメタセコイヤと時計台も見えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする