ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和のはじめの義士祭-義士に扮した青年団

2017年12月11日 04時43分13秒 | Weblog
 今日、紹介する写真は昭和の初期に社町青年団(現加東市)の団員だった父らが赤穂義士に扮して義士祭を行ったときの記念写真です。
 場所は観音寺(加東市家原)の境内にある義士の墓碑の前だと思われます。当時は旧暦の12月14日にあたる、新暦の1月に行われていました。父の日記によれば、青年団員が中心となって義士会が相撲大会や義士行列、映画大会などを催していました。
 以前にもこの歴史ブログで紹介しましたが、義士祭といえば、本拠の赤穂の義士祭が知られていますが、明治36年(1903)に始まったと聞いています。わが加東市家原の観音寺には、赤穂の花岳寺、東京の泉岳寺と同じように四十七義士の墓碑があります。これは、討ち入りから150年の後に義士の忠義を讃えて当地の人々が寄附を募ってつくったものですが、浅野家の領地があった加東郡には義士の一人である吉田忠左衛門が郡代として赴任していました。また、浅野家の分家である家原浅野家は赤穂浅野家断絶後も明治維新まで続き、赤穂義士を偲ぶ気風がありました。
 社町(旧)の義士祭は昭和2年(1927)年に始まったと聞いています。今年も赤穂義士奉賛会が中心となって、加東市赤穂義士祭が行われます。写真の右端に立っているのが父、藤本豊治です。大高源吾に扮しています。それにしても義士の扮装は本格的です。
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