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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

「東条ダム建設と郷土の開発」の授業記録-藤井喜明先生

2015年11月29日 04時59分35秒 | Weblog
  

 11月23日、東条川疏水ネットワーク博物館オープン記念の式典、シンポジウムが加東市やしろ国際学習塾LOCホールで開かれました。

 東条川疏水が全国疏水百選に選定されてから10周年にあたり、昭和26年11月23日の鴨川ダム(東条ダム)の竣工した日を「東条川疏水の日」として制定することになりました。その趣旨は、ダムと用水路、ため池、田圃を結ぶ壮大な水の流れとその流域の自然や歴史・文化を大切な地域資源として保全し、次の世代に継承していこうとするものです。

 東条川疏水ネットワーク博物館は、鴨川ダム、昭和池という巨大な「水がめ」と水路網で結ばれたため池や田圃など流域全体を「屋根のない博物館」として見て、展示物はその景観の中に点在する水利施設、農業施設をはじめ、歴史的建造物や継承されてきた祭りや人々の暮らしそのものという考え方に立っています。

 ダムの建設により、全国有数の少雨地帯であり、旱魃、水不足に苦しんできたこの地方に安定した恵みの水が供給されることになりました。水がなかった台地の開拓地に水が引かれ水田化も進みました。水路は隧道で山を穿ち、水路橋で谷を渡り、さらに長大なサイフォンで谷を渡って台地へと結ばれ水を運びました。「子ダム」も築造され、さらに水路は遠くまで延びていき、田圃を潤しました。

 しかし、昭和初期の昭和池、戦後間もなくの鴨川ダムの工事はどちらもその巨大さゆえに難工事となりました。また、鴨川ダム建設には湖底に沈む土井の人々の立ち退きという大きな犠牲がありました。そうした物語も疏水ネットワーク博物館に収録され、語り伝えられていく大切な「展示」の一つです。

 さて、手元に一冊の社会科授業実践記録があります。和文タイプの活字で書かれた200頁余りの冊子です。
 表紙には、「たしかな社会科の授業を求めて」-東条ダム建設と郷土の開発-の題名だけが書かれています。奥付には、著者、藤井喜明。昭和42年2月発行となっています。
 著者は、当時40歳。加東郡社町立社小学校に勤務し、社会科授業の研究実践に情熱を注ぎ、特に東条ダムの建設と開発をテーマにした授業の開発に精力的に取り組んでいます。この冊子は、その授業開発と実践の記録です。

 加東市内の学校に勤務しておられる先生からお預かりしている資料ですが、これは東条川疏水に関する貴重な教育資料だといえます。実は今から30年余り前、私も兵庫教育大学附属小、中学校に勤務していた時に社会科授業で、東条ダムと嬉野台地の開発をテーマに授業開発に取り組みましたが、その20年余り前に大先輩の藤井喜明先生が取り組んでおられたことをこの一冊によって知りました。
 この内容については、これから紹介していきたいと思っています。
 
 
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