ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

タヌキ

2006年06月30日 16時27分55秒 | Weblog
朝から雨が降ったり止んだりしてうっとおしい。
池のふちを歩いていると、釣人が置いていったのか、ボートが目に入った。
ぼーっと見ていると、視界の中で一瞬何かが動いた。
目を凝らして集中する。犬か、タヌキか、それとも話題のアライグマか!?
驚かさないように静かにカメラを構える。
だが、距離がありすぎてズームをしてもよく見えない。
ごそごそ動いているが、草の葉でよく見えない。
足音をたてて気付かせた。
ボートの舳先の方に動いて、こちらのようすを見ている。
お互いに固まったように見つめ合う。
タヌキに見える。静かにシャッターを押した。
もう一枚。だが、そこで電池切れの表示が出た。
同時にタヌキはのそのそと草むらに姿を消した。

写真をよく見て、アライグマとタヌキを比べてみましたが、
やっぱりタヌキのようです。
最近、アライグマが出没して畑を荒らすなどの被害が出ています。
アライグマかと思いましたが、顔つきや色などからタヌキのように見えます。
トンボやカエル、ヘビなど自然の生き物がすぐそばにいっぱいです。
コメント (2)
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佐保神社(2)日露戦役記念塔

2006年06月30日 09時17分40秒 | Weblog
日露戦役記念塔
佐保神社の境内の大けやきの下に「日露戦役記念塔」が立っています。
 この記念塔の台座部分には、大正2年(1912)「大阪堂島取引所有志」と彫ってあり、この塔が大阪堂島取引所有志によって建てられたことがわかります。
 なぜ大阪の堂島取引所の人たちが佐保神社にこのような記念塔を立てたのでしょうか。
 大阪の堂島といえば米相場の取引所があり天下の台所の中心として栄えたことで知られています。米相場との關係から考へると、社の田町で米相場が立てられていたからではないかと思はれます。
 堂島では「播州社」の名を知らない者はいなかったといわれるほど関係が深かったようです。
 境内西側に並んでいる小宮のうち、まん中あたりの御大神宮さんの玉垣の石柱には、「加東米穀取引所」と刻まれています。
 この小宮は、昔、田町通りにあったのですが昭和のはじめに佐保神社の境内に遷されたものです。社が米の取引と大いに関係のあったことを知ることができます。
 この記念塔のそばの大けやきの木は社町指定の記念木になっています。樹齢はどれぐらいでしょうか。数百年は経っているでしょうね。
 数年前の冬の朝、このけやきが火事になりました。誰かが皮に火をつけたものと思われますが、太い幹の北側部分が黒く焦げていました。痛ましい姿でした。心配しましたが、大けやきは今年も緑の葉をつけています。
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