ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

旧加東郡公会堂(明治館)あたり

2006年06月15日 23時14分08秒 | Weblog
明治館あたり

町制の実施と役場
 佐保神社の参道を南に向かって歩いて行くと、「明治館」の塀につきあたります。その曲がり角あたりに昔、社町(昭和の合併以前の社町)の役場がありました。ここに役場が建てられたのは、明治45年7月のことでした。
 加東郡社村は、この年の3月に町制実施が認められ、6月1日をもって加東郡社町となっています(これが旧社町)。それまで役場があった場所に加東郡公会堂が建設されることになり、これにともなって隣接地に新庁舎が建設されることになったのです。
 町制実施記念式典はこの新庁舎の落成式を兼ねて行われました。まず、佐保神社で町制実施奉告祭が執り行われ、続いて新庁舎講堂で多くの出席者のもとに式典が開かれました。式は、国歌吹奏、勅語奉読に始まり、松本町長の式辞、山県加東郡長の告辞などが続きました。出席者を見ると、郡長、郡書記、裁判所長、税務署長、県会議員、郡会議員、町村長、会社銀行重役、新聞記者、町会議員、区長、功労者など地域の有力者ら約160人となっています(「神戸又新日報」)。
 余興には、餅まき、自転車競争、相撲、小学生の旗行列、煙火(はなび)の打上げ、提灯行列、芸妓の踊りなど多彩な催しものが繰り広げられ、さらに一般町民には祝酒が振る舞われるなど「町内空前の賑い」(新聞)だったようです。
 
元加東郡公会堂
 今、明治館が建っている場所は、その昔、佐保神社の神事太鼓の練り場だったようです。(『佐保神社誌』地図)
 明治のはじめに、八城小学校の敷地に定められ、校舎が建てられました。さらに、明治45年(1912)には、この地に加東郡公会堂が建設されました。
 郡制が敷かれていた頃、この加東郡公会堂では、郡会が開かれ、旧加東郡(現在の加東市、小野市域)の重要な問題が議論されていました。大正末に郡制が廃止されたあとは、社町の公会堂として利用され、多くの人々に親しまれてきました。
 この堂々とした建物は、まさに旧加東郡の政治の中心であったばかりでなく、さまざまな団体の会議や集会、文化的な催しに使われ、政治・文化の中心としての役割を果たしてきました。
佐保神社の秋祭りでは、この明治館あたりで上組、下組、上中、新町の四台の太鼓屋台が揃い、宮入りの準備をします。
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