ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

田町にあった御大神宮さん

2006年06月28日 03時37分42秒 | Weblog
田町にあった御大神宮さん
 田町筋は、西から西田町、中田町、そして東田町と三つの町割があります。中田町と東田町の境を分ける路地と田町通りが交わる服部家の前に、昔、御大神宮さんの小宮がありました。写真は田町にあった昭和初期の頃のものです(中田町:服部正法氏蔵)。
 今は佐保神社境内の西側に遷されて、その跡には何もありませんが、中田町の人々は、毎年7月25日に佐保神社の境内の小宮に参って、昔のままにお祭りをしています。
 さて、この小宮について、故・服部千代子さん(中田町)はこんな言い伝えを紹介しています。
 江戸時代のはじめの頃、ある日、空から御幣がひらひらと舞い落ちてきたので、人々は「これは勿体ないことだ。おろそかにできない」と、お金を出し合って家の前に小さな祠を建てたそうです。小さいながらも玉垣で囲って立派なものだったといいます。その後、昭和のはじめになって、田町筋(県道)を清水行や三田行の定期バスが通ることになり、幅5メートルほどの道の真ん中あたりまではみ出していた祠を移転することになりました。当時の町内会長さんが佐保神社の宮司さんに相談を持ちかけたところ、佐保神社の境内に移すことになったのです。
 毎年7月25日になると、中田町の人々は、朝から小宮さんの周りの草を引き、きれいに清掃して幟を立てたり幕を張って祭の準備をします。そして、夕刻になると、町内の老若男女が集い、御大神宮さんを参拝し、家内安全と町内発展を祈ります。西の空は日が沈んでもまだ明るく、昼間の暑さもやわらいで、談笑は暗くなるまで続きます。
 服部さんの手記では、「遠い昔、江戸時代の初期だったかもしれません」と書いてあり、時期ははっきりしていません。「空から御幣がひらひらと降ってきた」から思い浮かんでくるのが、お伊勢参りとの関係です。伊勢信仰は江戸時代に絶頂を迎えます。全国各地から人々はお伊勢参りの旅にでかけました。その信仰を広めるために各地にお札を配っています。元禄時代にはお札を各地に降らしたという記録もあるそうです。中田町に降ってきた御幣もそうしたものだったかもしれません。
 お札が降ってくるといえば、幕末の西日本を中心に流行した「ええじゃないか」の騒動のきっかけになったのもお札です。北播磨地方でも、慶応3年(1867)の暮れに各地に「お札」が降り、「ええじゃないか」の騒ぎが起こっています。お札には「大神宮」(伊勢神宮)と書かれたものも多かったようです。

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