晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

戦後左翼史 その48 1966年④ 紅衛兵登場! 日共、中共派除名

2017-07-03 16:52:17 | Weblog

明治安田生命サッカーJ1リーグも前半戦17試合が終了。我らの北海道コンサドーレ札幌は、勝ち点15で降格圏すれすれの15位。終了間際に追いつかれるなど勝ちきれない試合が続いていますが、そのわずかに見えるところが意外と大きな実力差なのでしょう。前回の昇格時に比べて、選手のモチベーションも高そうなので、何が何でも残留を果たして、ビッククラブに成長してほしいと思います。

戦後左翼史 その48 1966年④ 紅衛兵登場! 日共、中共派除名

(★印は日共関係、◎中ソ対立関係、■文化大革命関係)

★1966.8.1道新夕刊 ソ連代表 原水禁国民会議にだけ出席

*(*は僕の考え)左翼の病として、原水禁運動などの大衆団体の運動と党派の活動方針の混同を指摘したい。1963年「いかなる国の核実験にも反対」「部分核停条約の評価」をめぐり原水禁運動が分裂、1964年日共は部分核停条約に賛成した志賀義雄らソ連派を除名。大衆団体の判断が党の方針と違った場合には、分裂、分派活動へという行動パターンは、文芸活動や労働運動の分野でもよく見られる光景である。様々な団体の中にあって党員は、その組織固有の事情や組織内におけるそれまでの人間関係から、党の方針どおり動くことができない場合があるはずだが、党はそれを認めずロボットのような機械的な行動を求めるため、いつまでも大衆的な基盤が広がらない。いつまでも宗派の次元にとどまってしまう。党派、宗派からは真実には近づけない。

1966.8.1道新夕刊 日中関係 “敵対”段階へ 人民日報 劉寧―入国拒否問題で強硬論文 LT貿易断絶か 椎名外相留任も警戒 “米日ソ神聖同盟”いっそう推進に反対

1966.8.2道新 きょうからソ連最高会議 ベトナム支援策も検討 内閣、大半は再任か

■1966.8.2道新 羅瑞卿総参謀長らも追放? 解放軍記念式に姿見せず

■1966.8.2道新 インドはこう見る 中印紛争は主義の対決 文化革命後、軍事冒険へ 平和共存への挑戦

■1966.8.2道新夕刊 中国建軍祝賀宴 楊成武参謀長代理が演説 羅瑞卿失脚は確実 胡喬木氏(全国人民代表大会常務委員)も解任か

■1966.8.3道新 中国文化革命 毛主席が新たな指示 解放軍先頭に国をあげ毛思想を学習

★1966.8.3道新夕刊 原水協 予備会議きょうに持ち越す 民青連(世界民主青年連盟 ソ連系)参加で紛糾

1966.8.4道新 コスイギンソ連首相演説 5か年計画 国民所得を4割増 消費財生産増やす

◎1966.8.4道新 ソ連最高会議閉幕 コスイギン首相 中国を非難 ソ連指導部を攻撃し米帝国主義に奉仕 ベトナム問題で声明採択 新援助措置を準備

★1966.8.5道新 きょうから二つの原水禁大会 平和行進が広島入り 原水爆禁止科学者会議:約1,000人が参加 

1966.8.5道新 道東平和祭(鹿追町)のスパイ活動 8日、自衛隊に3回目の抗議

★1966.8.5道新夕刊 タス通信 日共に警告 原水禁運動の分裂で日共に煮え切らない態度 宮本訪中後の中共離れ 6月グリシン訪日後のソ連接近 どうするの?

★1966.8.6道新 広島で各派の原水禁大会 原水協世界大会:海外代表17人だけ 脱退者とも話し合う 国民会議国際会議:海外代表の提案 穏やかな調子で統一 

★1966.8.8道新 原水協 広島の両大会終わる きょうから舞台を長崎に ベトナム反戦を決議

★1966.8.8道新夕刊 プラウダ ベトナム支援 宮本演説(7.20東京)を紹介 中共寄りから自主独立路線をとり始めたことをソ連共産党がそれなりに評価している。

★1966.8.9道新 赤旗(8.8付け) 暗に中共を批判 “志田(重男 10年前に除名 中共路線)一派”を激しく攻撃 

■1966.8.9道新 中共のプロレタリア文化大革命 徹底粛清に長期体制 大衆を動員 常設機構おく 根強く残る反党分子

■1966.8.9道新夕刊 人民日報 孫治方氏(元中国科学院経済研究所長)を批判 経済専門家に波及

★1966.8.10道新 赤旗「グロムイコ外相の訪日と“日ソ共同声明”について」増田貫一編集局次長 グ外相訪日(7.24~30)を論評 ソ連依然対米追随 

★1966.8.10道新夕刊 注目される日共の自主独立路線(10.24~第10回党大会予定) 中ソいずれとも一線 微妙な影響受ける社会党 2~4月宮本訪中時、中国側は日共に武装革命闘争方式を要請 インドネシア9.30革命評価で中国の極左冒険主義への批判 日共30万党員 機関紙100万部以上

■1966.8.11道新社説 文芸整風運動の新段階

■1966.8.11道新 中国“文化革命”決定の意義 「整風」の中間的決算 粛清の行き過ぎ戒める 

■1966.8.11道新夕刊 紅旗紙が社説 文化大革命の綱領 毛主席自身が作成 

1966.8.12道新 陳毅(ちんき)外相 社会党議員団に語る 貿易方針変えず 人事交流もっと広げる ベトナム問題解決 完全統一が条件

■1966.8.12道新 人民日報 毛主席の会見記 手直しして再報道

■1966.8.12道新 中共 人民日報を回収 毛主席の会見記 全文削除

1966.8.13道新 北朝鮮紙(労働新聞)論説 各国共産党は独自の道を 大国主義は友好関係悪化 “指導党”ありえず

★1966.8.13道新夕刊 原水禁脱退代表 歓迎集会(北京16か国代表を招く)で廖承志(りょうしょうし)氏原水協を非難 中国は日共と対立へ 西園寺公一氏(北京在住)も非難 自らの墓穴掘る

■1966.8.13道新夕刊 人民日報手直し事件 党中央はまだ混乱か

◎1966.8.14道新 中共中央がコミュニケ ソ連との共闘拒否

1966.8.14道新 イタリア社会党 19年ぶり(1947.1~)に再統一へ 安定度を増す連立内閣 共産党(800万人)とは一線画す 

■1966.8.15道新 中共中央委コミュニケ 林彪国防相を称賛

1966.8.16道新社説 中国と北朝鮮の路線

◎1966.8.16道新 ソ連 “中国批判”大胆に 国際的指導力に自信

★1966.8.16道新 母親大会(8.21~)も分裂必至 総評系が不参加 役員問題などでこじれる

■1966.8.17道新 ユーゴ通信報道 林彪氏 筆頭副主席に 党軍事委主席にも就任 ナンバー2に

1966.8.17道新 日本母親大会 予定どおり開催 連絡会役員会 総評とは統一へ努力 日本婦人会議が参加(社党系)

■1966.8.18道新 進む中国の文化革命 西安、延安でも

1966.8.18道新 ソ連経済に新展望 西側との企業協力 シベリア開発 日本に期待 採算ベースを貫く

■1966.8.18道新夕刊 北京で100万人の大集会 文化大革命祝う 林彪国防相、周首相が演説 劉寧一党書記に

■1966.8.19道新 毛主席礼賛の林彪国防相 代表的地位を確保

■1966.8.19道新 中国指導者序列に変動? 林・周路線が主流に 劉主席の地位は下がる 米、林彪後継者説認める 

外務省筋はなお慎重、即断できない 対中国策、当面変わらず

*権力の構図としては、劉少奇、鄧小平を退け、林彪が後継と見えたが、外務省はポスト毛の予測に慎重なスタンスであり、結果的にはこの国の国家機関の分析は非常に正確ということがわかる。

■1966.8.20道新 中国のNo2 林彪国防相(58歳) 対日戦、朝鮮戦争の名将 筋金入りの理論家 毛(73歳)思想 徹底的に推進 

◎1966.8.20道新夕刊 ソ連のベトナム援助強化 複雑な表情の中国 深みにはまるソ連を期待 「北」の離反を警戒 空軍力の弱さ痛感

■1966.8.23道新 劉少奇国家主席格下げは決定的 単なる政治局員に? 軍部の発言権増大が背景 党主流から脱落

■1966.8.24道新夕刊 北京放送 NO7の康生氏 政治局員に昇格

■1966.8.25道新 陸平(校長)なき北京大学のも新風 毛賛美、最高潮に 紅衛兵 一斉張り出し 民主諸党派解散も

*新聞(道新)に「紅衛兵」という言葉が初めて登場!

*(参考)紅衛兵は、1966.5.29精華大学付属中学生が結成。1966.8.17天安門広場百万人集会で毛沢東接見、8.19林彪の四旧打破呼びかけで、旧社会を象徴するもの、ブルジョア的なものをターゲットに激化。

■1966.8.25道新夕刊 紅衛兵 上海、天津にも波及 髪型の“改革”を定期 上海:教師や学生参加 天津:商店の古い屋号を廃止 北京:歴代皇帝の碑に板囲い 私室も襲われる 婦人雑誌の社長解任 北京市を「東方紅」に改称要求

■1966.8.27道新 中国 民主同盟が事務停止 諸党派解放への一歩? 京劇俳優の周信芳が自殺か

◎1966.8.28道新 北ベトナム 建国21周年祝賀で中ソ双方に代表団 

■1966.8.28道新 紅衛兵運動 ついに死傷者出る 地主、刀ふるって抵抗 憲法改正を要求 紅衛兵が新語を使用“毛沢東主義” 

◎■1966.8.28道新 ソ連 中国に覚書 紅衛兵運動を非難か

■1966.8.29道新 人民日報 紅衛兵運動で協調 解放軍を手本の“三大規律、八項注意”守れ  

◎■1966.8.29道新 紅衛兵 瀋陽市内を支配 東北地方でも注意 北京市内 酒とタバコ消える ソ連 中国に厳重な抗議 北京のソ連大使館に乱暴行為

■1966.8.29道新夕刊 紅衛兵運動 人民日報も行き過ぎ注意 事態収拾の動き 総点検大会開催か 広東:僧を強制退去させ寺の仏像焼き払う 北京:酒、タバコ高級品を一掃 大衆品を中心に 国際クラブ閉鎖さる ソ連大使館前で大会 東揚威路を「反修路」に改名を記念 チベットでも紅衛兵

1966.8.30道新 中立貫くカンボジア 北ベトナム、べトコン認めるが援助せず 国守る唯一の道

◎■1966.8.31道新 紅衛兵の反ソデモ ソ連、再び抗議か 態度選択に苦悩の色

◎■1966.8.31道新 紅衛兵の暴走 手を焼く党中央 元幹部宅にも侵入 一部で民衆の反感買う 破壊分子の便乗も 紅衛兵 ソ連大使館前を再びデモ行進

■1966.9.1道新 紅衛兵運動 人民日報も批判対象に 調整段階に

■1966.9.1道新夕刊 ①北京 地方紅衛兵が大集会 林国防相演説 暴力は用いるな 毛主席 紅衛兵と会見 巧みな闘争、革命を 周首相演説 全大学生を北京に 経験の全国的支援を ②紅衛兵と労働者が衝突 青島で140人負傷 ③紅衛兵の外交官暴行 東欧も抗議覚書

◎■1966.9.1道新夕刊 ソ連 文化大革命を非難 統一原則を乱す

★1966.9.1道新夕刊 日共 8.27~30第6回中央委総会で10月大会の議案発表(10.24~第10回党大会) 規約前文でも義務付け “自主独立”を貫く 党員20数万人 赤旗30万 日曜版100万 1名の反対あり

★1966.9.2道新社説 自主独立を打ち出した日共 これまでの親中共的立場を“志田一派”(1957年に除名)の責任に負わせる 

★1966.9.2道新 日共 中共派の4幹部処分(山口県委員会1か月の党員権停止) 民青同関係も6人(山口県委員会1か月の権利停止処分)

■1966.9.2道新夕刊 紅衛兵運動 党中央が明示 全国的規模に拡大

■1966.9.2道新 劉主席の地位不変 北ベトナムの祝電でわかる

■1966.9.3道新夕刊 紅衛兵が中心に共産主義青年団を再編 紅衛兵、広州副市長(焦林義)を拘束 北京日報休刊 内部混乱続く 

1966.9.4道新 新華社報道 対米戦準備は急務 AA、LAの人民闘争、革命の主要打撃力

1966.9.4道新 北京 ビラで銭信忠(中国教育衛生)部長を批判

■1966.9.5道新 紅衛兵 各都市で衝突 主流、反主流が対立 地方党委分裂のきざし

1966.9.5道新 チェコ大統領(ノボトニー) 中国を非難 統一戦線を弱める 

◎1966.9.5道新 ラービンソ連大使 北京への帰任を延期

■1966.9.5道新夕刊 ハンガリー党機関紙論評 文化革命は“蛮行” 東独党中央委も非難声明 

1966.9.5道新夕刊 チトー大統領 党、影響力を失う 全面再編を強調

◎1966.9.6道新 各国共産党相次いで中共非難 「公開論争」再開の動きか ソ連硬化にならう

1966.9.6道新 ライプチヒ(東独)見本市 中国が展示場を閉鎖 “非難声明”に抗議

■1966.9.7道新 香港筋観測 毛・林路線に不安定要素 劉一派の巻き返しか 紅衛兵の暴走 “党と国民”にミゾ 紅衛兵におののく広州 党地方幹部も戦々恐々

★1966.9.7道新夕刊 日共 中共批判強める 山口県委の5人除名(福田勝義他)

★1966.9.7道新夕刊 日共系の友好3商社に 中国、退去を要求 睦、羽賀通商、三進交易 取引高350億円、8割は日本からの輸出

1966.9.9道新 フランス共産党 中国と党関係断絶

◎■1966.9.9道新 ソ連誌が非難 「皮をはぐ」と紅衛兵が脅迫

1966.9.9道新 北朝鮮 親中国分子を追放か

◎1966.9.9道新 北ベトナム ソ連への平和解決支持要請 米に対する“圧力”を望む 中国と一線画す

★1966.9.9道新夕刊 日共の中国色一掃 強まる一方 出版、文化界にも影響 『人民中国』など締め出し

1966.9.9道新夕刊 陳毅発言(外相) 早合点で誤解される 対米姿勢は不変 自民党議員団との北京での会談で「米国と話し合っても良い」発言

■1966.9.10道新 北京の紅衛兵 モンゴル自治区の副首相を非難 

1966.9.10道新 朝鮮問題 金光侠北朝鮮副首相が提唱 国際会議開催を

■1966.9.10道新夕刊 紅衛兵がハンスト 各地で党の組織と対立 陳毅外相 佐藤内閣を非難 反中国神聖同盟の一員

1966.9.11道新 イタリア共産党 中国を批判

■1966.9.12道新 人民日報 地方党委員会に警告 学生と対立作るな

1966.9.12道新 社党 佐々木派 “当面の課題”で見解 反独占戦線作る 米帝に日中の共闘を強化

★1966.9.12道新夕刊 日共 機関紙編集委員を除名 原田長司

*(れんだいこHPに学ぶ)9.10山口県委総会で、中共派の原田長司(中央機関紙編集委員)、福田正義ら5名除名。原田らは、日共山口県委員会左派結成、機関紙「長周新聞」創刊、党中央に反旗。1957年除名の志田(重男)ら「解放戦線派」も中央批判。10月第10回党大会に前後して、中央委員西沢隆二(ぬやまひろし、故徳田球一書記長の女婿)、中央書記局員安斎庫治、福田正義ら除名処分。この波紋は、同年10月「日中友好協会」分裂、「AA連帯委員会」「日本ジャーナリスト会議」などに波及。 

■1966.9.13道新 中国共産党 中央と地方の対立深まる 乱闘、全土に及び急伸路線に根強い抵抗

◎1966.9.13道新 北ベトナム 中ソとの均衡に努力 依然中立的立場

1966.9.13道新 中国から読者に依頼状 雑誌の返送を 『人民中国』内容の訂正か

■1966.9.13道新夕刊 中共首脳に変動 周首相 党副主席はずさる?

1966.9.14道新 中国の李貿易部第4局長語る 一部商社だけに限らず広く日本側と貿易

★1966.9.14道新 「赤旗」が主張 中国の貿易干渉を非難

■1966.9.14道新夕刊 林彪国防相 劉少奇派を大量に閣僚級を逮捕、監禁 劉伯承元帥も逮捕 直属軍隊創設構想が発覚

■1966.9.16道新夕刊 林彪国防相 文化大革命で協調 実権派との戦い 安徽省の紅衛兵 労働者ら2,000人に包囲さる

■1966.9.17道新夕刊 周首相 紅衛兵に演説 孫文夫妻批判は誤り

■1966.9.19道新 紅衛兵運動 共産主義青年団中央委解散か

1966.9.19、20道新 中国を考える(堀田善衛) ①国交回復の道遠い 介在する多くの難問 ②思想・文化の交流を 相互訪問さらに高めて

■1966.9.20道新夕刊 紅衛兵 郭沫若氏も批判 “古い作品”検閲する必要 

★1966.9.20道新夕刊 日中貿易促進会緊急理事会で採択 隅井正典専務理事、岡本常務理事を解任 日共系幹部の更迭

■1966.9.21道新 紅衛兵旋風から1か月 戦時体制ほぼ完成 焦点は「実権派」打倒に

1966.9.21道新夕刊 サルトル氏初講演 “知識人はエリートではない”

◎■1966.9.22道新夕刊 ソ連政府機関紙(イズべスチア) ベトナム問題で中国を非難 ソ連紙報道 紅衛兵 共産主義青年団を批判

■1966.9.25道新 モスクワ放送が報道 紅衛兵が機関紙で攻撃 劉少奇主席も批判か

■1966.9.25道新 英軍事戦略研究所発表 毛沢東主席の引退後は林国防相らが指導

1966.9.26道新夕刊 サルトル講演から 知識人のあり方探る ボーボアール 男女平等の欺まん性をつく

■1966.9.26道新 紅衛兵が著名文化人を批判 郭沫若(文学芸術連合会主席)や呉冷西(新華社社長)もヤリ玉に

■1966.9.27道新 国慶節迎える北京 まるで毛主席の洪水 ホテルの部屋にも肖像

■1966.9.27道新 紅衛兵 老舎(作家)らも批判

■1966.9.27道新夕刊 中国 文化革命委を設置か 毛主席が直接に指揮

◎■1966.9.28道新 ソ連紙 中国を暗に非難 ナチの文化破壊踏襲 プラウダ報道 紅衛兵は6月から暴力化

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 戦後左翼史 その47 1966... | トップ | 戦後左翼史 その49 1966... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事