晴走雨読

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『反教育論』 その1

2013-09-24 20:56:54 | Weblog

 近鉄京都線向島駅(むかいじま)は京都市の端っこにあります。駅を出て少し歩くと宇治市域に入ります。台風18号による大雨の影響で宇治市に避難勧告が出されました。

 

 『反教育論 猿の思考から超猿の思考へ』(泉谷閑示著 講談社現代新書 2013年刊) その1              

 本書は、反教育論として成立しているだろうか。精神科医の著者による現在の教育批判はなかなか刺激的である。結論は、いわゆる「良い子」ほどダメになる。自分で考えられる人間を生み出すことができない今の教育を批判する。

 私は、このブログ2013.7.5『吉本隆明「心的現象論」の読み方』その3 で以下のように述べた。

 吉本が影響を受けた生物学者の(以下引用)「三木成夫は植物、動物の構造を基盤とした“心の世界”を論じた。“ヒトの心”には、体壁幻想(動物の心)と内臓幻想(植物の心)があるという。体壁幻想は、外界を感覚器官(視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚)でとらえ了解する構造を持っている。内臓幻想は、概念的、心意的な内面世界や感情である。ただ、この三木の心臓を中心とした心の世界が存在する、臓器は思考するという考え方は、〈異端〉である。しかし、吉本も三木のいう内臓幻想の考え方までは承諾していない。しかし、体壁幻想だけでは心の世界全体をとらえきれないということはわかっていた。」

 本書の中で吉本の名は一度も出てこないが、著者が人間を、コンピュータ的に情報処理を行う「頭」(理性、猿)と、大自然由来の野生原理で動いている「心=身体」と二つの部分に分けて捉えている。

 近代以降の人間は理性を万能なものと過信し、教育は「理性による自己コントロール」を奨励するが、野生原理(心=身体)との間で軋みが生じている。著者は、野性に裏打ちされた理性(超猿)とは何かと問う。

 


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