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京都4日間滞在中、イノダコーヒーに3回行きました。数年ぶりの本店、大丸デパート地下グリル、そして初めての清水寺店です。
関西でJRにも何回か乗車しましたが、気のせいでしょうか、道内ほど酷い揺れ方はしなかったと思います。
『反教育論』 その2
第2章「われわれの内なるオオカミとサル」で、マーク・ローランズ著『哲学者とオオカミ』から引用があり、かつて読んだ時はあまりピンとこなかった本だったのだが、なるほどそういうことだったのかと少し腑に落ちたように感じる。
迂回的理解法と言うべきか、最初に読んだ時には、その本の世界に入り切れず理解が深まらない場合がある。しかし、他の本でその本の引用が、別の文脈の中にあり、そこから何かしらの手がかりが見つかり、再読の結果、理解が深まるということが稀にある。
これは、読書に限らず、人との出会いでもその第一印象が、異なる場面において全く覆る瞬間がある。また、何気ない会話の中での他者の発語の真意が、別の他者との会話から後になって心に響いて来る場合もある。迂回的理解と言っていいだろうか。
子どもたちは、学校でも家庭でも、夢や希望に向かって努力せよ!と背中を押されている。誰しもウィンブルドンやワールドカップ(甲子園や東大でもいい)に出たいと思う。しかし、その夢が叶うのはほんの極一部の人間でしかないというのも現実である。
私が大切だと思うのは、夢が破れたっていいんだよ、失敗したっていいじゃない、ともっと緩めてあげることだと思う。幸せの定義は、有名になることや偉くなることでは無く、生まれてきて、大人になって、家庭を持って、子どもを育てて、仕事をして、歳をとって死んでいく、それが一番いいじゃないかと言えることだと考える。(なお、必ずしも結婚や出産をしなければならないということではない。)
唱歌を除いて、世間で子どもからお年寄りに支持された歌には、人を追い詰めるような歌詞は無いと思います。
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