晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

鴨川増水

2013-09-22 17:46:05 | Weblog

 暦の上では3連休ですが、3日間とも営業。先週たっぷり休んだのでしっかり働かなければ。

 朝まで大雨が降った後の9月16日午前、四条大橋から鴨川の様子。普段は歩くことのできる河岸の遊歩道も水に呑み込まれていた。

 京都や奈良など本州を訪れるとあちこちの寺院にある国宝の多さに驚く。北海道では中々お目にかかれない。では、北海道に国宝はあるのだろうか。調べると、南茅部町(現函館市)で出土した中空土偶が唯一北海道内で国宝に指定されていた。

 これはどういうことなのだろうか。国宝に値するようなもの(人)が少ない、歴史の長さ、厚みが違うからなのか。先住民族(アイヌなど)の残したものは、和人国家の国宝にはなりえないということなのか。大和中心史観が貫かれているということか。

 京都の歴史的建造物などを散策して感じるのは、この国の日本的なるものを侮ることなかれ、ということである。北海道で生まれ育った私は、本州の人の生活や思想に深く深く根付いているこの日本的なるものをいとも簡単に変えれば事足るように考えてきたが、中々容易なことではないと今にして改めて感じている。

 天皇制、日の丸、君が代などに異議を唱えるのは実に表層的なことに過ぎず、もっともっと人びとの意識の根底にあるものに対して響くような言説を編み出さない限り「変える」ということは難しいと考える。

 

 

 

 


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1 コメント

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self-defence (noga)
2013-09-25 17:50:30
 >静岡県知事川勝平太 またの名を嘘つき平太・・・この度は、全国学力テストで小6が最下位だったことから事は始まったようですね。
 >下位100校の校長名を公表すると唐突に表明したからさ~大変!
 >学校名を公表しないが文科省のルール、校長名とは記載されていないからこれはOKだとする県知事。
 >これに対し文科省では校長名イコール学校名との認識を示し県教委はこれを順守すべきだとの見解。
 >今回の件で、嘘つき平太に屁理屈平太がプラスされた。

学校長は、学校教育に責任のない人なのか。ただ、他の教員よりも金を多く貰っているだけなのか。
その責任者であるならば、問題があれば、名前を明らかにされても仕方がない。
問題の解決には、何よりも責任者の自覚が必要である。

意思のあるところに責任はある。
意思のないところには、責任がない。
責任者は、責任を持って問題の解決を図ることを期待されている。
無意思の責任者には、問題を解決する力はない。

死刑執行人は、殺人罪に問われない。
彼らは、殺意がないからである。彼らは ‘頼まれ仕事’ をしているのである。学校長の仕事もそのような ‘頼まれ仕事’ なのであろうか。

日本人には、意思がない。
意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。
だから、日本人には、意思がない。

非現実 (過去時制と未来時制) の文章内容が表現できなければ、際立った個人差は出ない。どんぐりの背比べというか、犬と犬の違いに終始する。
個人主義を理解することも難しい。

我が国がひっくり返った時にも、国の政治責任者は出なかった。
「責任者を出すな。犠牲者を出すな」と言う声が上がった。
意思のない人が責任を追及されることがあれば、彼はまさしく犠牲者であろう。動物愛護の精神が必要。
学校長も、そのようなものか。とかく、この世は無責任。

心のある人とは、どのような人か。
自分の感情を表現する人か。ならば、歌詠みの人か。
自分の意思を表現する人か。ならば、行動の人か。

日本人には、意思がない。だから、自分の意思を示さない。
我が国は、世界の中にあって、世界に属さず。
日本人は、無為無策で高踏的*なのか。
我々は自分自身の意思を示すよう心掛けて、来るべき国際化社会に備えなくてはならない。

 *高踏的 (自分ひとり高いとしているようす。おたかくとまるようす。)




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