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天皇(制)について 天の邪鬼さまへ 

2016-01-21 21:03:06 | Weblog

 天皇(制)について 天の邪鬼さまへ

 天の邪鬼さま、コメントありがとうございます。このブログ「原武史『皇后考』」(2015.10.7~)及びリンクしている愛犬日記の「『談話』VS『お言葉』」(2015.8.6)における天の邪鬼さま、雨読、管理人Red氏のコメントをもとに天皇(制)について考えてみました。

 大日本帝国憲法と日本国憲法では、機関(システム)としての天皇の権能は大きく変わりました。しかし、Red氏や天の邪鬼さんと同様に、市井人の感情レベルにおいて精神的、情緒的な連続性があると思います。これは、相当に根深いものであり、そう簡単には変わらないと思われます。邪鬼さんの憲法第1条を削除するとすっきりするとの主張は、論理の次元では整理がつきやすいですが、しかし市井人の感情レベルではかなり難しいと思います。

 日共の志位は、将来において国民連合政権が実現できて、国民の議論が進み、合意が得られたあかつきには、民主共和制にすると主張していますが、それは党員向け(天皇制廃止は立党の原点です。)と国民向け(共産党は乱暴なこと、無理はしません)との二枚舌になっています。

 現憲法では、政治的発言に対して制約があるにも拘わらず、現天皇はそれを逸脱する発言が目立ちます。これは、発言内容が政治の暴走に対する危惧の表明で肯首できる内容であったとしても、いつまでも保障されない、場合によっては反対に転化する危険性を持っていると考えます。政治的発言ができるという悪しき前例になる可能性があります。

 現憲法の「象徴」規定は、政治的側面からは権力を有しないと解釈できますが、社会的、世俗的側面からは影響力を残したという天の邪鬼氏の解釈に対しても異議なしです。

 僕は、かねてから「国民国家の黄昏」を主張していますが、国民国家という擬制も歴史的な限界を持っていて、たかだか200年間ほどで、そろそろ賞味期限が来ている制度と捉えています。稲作文化を基盤とする天皇制も1300年あまり続いてきていますが、いつかは賞味期限を迎えるだろうと思います。それよりも、男系男子を貫きながら側室性を採らずにいくと、生身の人間による神(生き神様)の継承はいずれ生物学的な限界に達すると推定できます。

 (少し脱線しますが、数学的に、男女のうち男の生れる確率は絶対に1(100%)にならないのですから、0位かの少数と少数(0.☆×0.★)を掛けつづけると限りなくゼロに近づいていき、血統は絶えてしまいます。)

 先端(未来)を知ろうとすれば、初源(原点)を訪ねなければならない(温故知新と同意)。古代における天皇制の初源は記紀の記述からもかなり曖昧です。『皇后考』(原武史著)には、宮中祭祀は明治になってから作った「伝統」、初代天皇を神武に定めたのが明治24年、さらに大正末年になってようやく皇統(歴代天皇名)が確定した、と書かれています。皇国史観は明治から戦前昭和にかけてのわずかな期間だけのものです。皇室のあり方としては、維新前の京都に居た時代くらいの状態でいいのではないかと思います。

 

 

 

 


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