図書館で、吉本隆明「老いの流儀」
(200年NHK出版)を借り読んでいる。
思えば、吉本も歳をとったものだ。近年、
書下ろしはほとんど無く、インタビューを
起こして校正したものばかり。
思い出すのは、1975年頃、埴谷雄高の
「死霊」の出版記念講演会に、小川国夫、
秋山駿と吉本隆明が来て、それぞれ「死霊」
の評論を述べた。
講演の最後に聴衆から、「吉本氏の今日の
話は、氏の著作の内容とどうも違うような
気がする。」との問いに、吉本は、「今日は、
埴谷氏の著作に沿う話をしたのであって、
私自身の考えは全然違うんです。」これには、
全体が一瞬あ然。
「実は、私はこう考えているのです。」と
自らの考えを述べる吉本。じゃ今までの話は
なんだったんだろう。
その後の話で、一番印象に残っているのは、
「国家権力なんか、廃絶の対象であり、町内会
や学校の掃除当番のように政治や行政は皆で
順番にやればいいのです。国家なんて必要
ないのだ。」
私の国家の廃絶のイメージ=掃除当番は、
30年前のこの時できあがったのでした。
戦後思想界の巨人、反アカデミズムを貫き、
岩波書店からは著作の無い吉本隆明。どのよう
なことを語っても、哲学がしっかりしているため、
時流に流されず縦横無尽に語れる吉本隆明。
(200年NHK出版)を借り読んでいる。
思えば、吉本も歳をとったものだ。近年、
書下ろしはほとんど無く、インタビューを
起こして校正したものばかり。
思い出すのは、1975年頃、埴谷雄高の
「死霊」の出版記念講演会に、小川国夫、
秋山駿と吉本隆明が来て、それぞれ「死霊」
の評論を述べた。
講演の最後に聴衆から、「吉本氏の今日の
話は、氏の著作の内容とどうも違うような
気がする。」との問いに、吉本は、「今日は、
埴谷氏の著作に沿う話をしたのであって、
私自身の考えは全然違うんです。」これには、
全体が一瞬あ然。
「実は、私はこう考えているのです。」と
自らの考えを述べる吉本。じゃ今までの話は
なんだったんだろう。
その後の話で、一番印象に残っているのは、
「国家権力なんか、廃絶の対象であり、町内会
や学校の掃除当番のように政治や行政は皆で
順番にやればいいのです。国家なんて必要
ないのだ。」
私の国家の廃絶のイメージ=掃除当番は、
30年前のこの時できあがったのでした。
戦後思想界の巨人、反アカデミズムを貫き、
岩波書店からは著作の無い吉本隆明。どのよう
なことを語っても、哲学がしっかりしているため、
時流に流されず縦横無尽に語れる吉本隆明。
「ばなな」のために角川に媚びた以降の著作はほとんど読んでいない、この一件以来吉本隆明への幻想は幻想そのものになった。
青(くさい)の時代性が如実に表象されるリトマス試験紙とか、擬制(吉本隆明)の終焉とかに揶揄するのは顰蹙を浴びるのかな・・・
この詩篇の透徹さに賛辞は惜しみません。
ある抒情
風の衣がきみの鼻さきをかすめると
ちいさな架空な愛になる
それから<つかぬことをうかがいますが>というような
あの挨拶とおなじ言葉で
事務的な嫉妬のまねごとがはじまる
この世界にはひとつの遣り方があって
以下 略
1974ユリイカ臨時増刊9月号
1974現代詩手帳12月号
薄赤紫のライラックの花を引き寄せ、妖しげで濃密な匂いを感じていると、愛犬はジッーと私を凝視していた。
「どうした」と言うと、「あなたもおいらと同じだ」と得意そうな表情を一瞬して、直ぐに警察犬の真似を始めた。