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「経済クラッシュ」ノオト その5 野口悠紀雄 『戦後日本経済史』 

2020-06-18 09:51:29 | Weblog

手を洗おう、マスクをしよう、でも暑い時はしなくてもいい、向かい合わせに座るな、距離を保とう・・・免疫力を付けるためには、あれを食べろ、○時間以上眠ろう。この数カ月の間に僕らは為政者から箸の上げ下げに至るまで「生活指導」されることに慣れてしまった。しかし僕らは自分で考える力を持っている。常識で判断できる。

 

「経済クラッシュ」ノオト その5 野口悠紀雄『戦後日本経済史』    

敗戦時の「経済クラッシュ」に直面した際の国民の受け止めはどうだったのだろうか。『戦後日本経済史』(野口悠紀雄著 新潮選書 2008年刊)が触れている。

本書は、的な高度経済成長を成し遂げた戦後日本経済の構造は、1940年代に構築された「戦時経済体制」を起源とすると主張する。敗戦時の記述を以下引用する。

(P22)「第1章 焦土からの復興 2 インフレで定まった戦後社会の基本形」でインフレーションの情況を示している。

○物価指数の推移(*ハイパーインフレ状態だ。)

・(1940年)1.64 

・(1945年)3.5 (1946年)16.2 (1947年)48.1 (1948年)127.9 (1949年)208.8 

・(1955年)343.0 

・(1960年)352.1

○国債残高の推移

・(1940年)286億円 (1945年)1,399億円 (1950年)2,407億円 (1955年)4,258億円

「国債の実質価値は、インフレによって激減した。国債残高は増えているが、一般会計総額に対する倍率で見ると、戦時期には5倍程度であったものが、復興期には約1/4にまで低下したことから、国は間接的利益を得た。」(*財政規模のデータは掲載されていない。)

「企業一般が利益を受けた。投資は借入れによって賄われたが、実質負債額はインフレによって激減した。従業員(とくに大企業の)も、その後の賃金引上げによって、恩恵を受けた。」

「膨大な数の家族経営的零細事業者も、戦争で受けた被害を取り戻すことはできなかったとはいえ、ささやかな利益にあずかった。彼らは、疎開先を引払い、戦災で焦土と化した町にいちはやく戻り、借地をし、公的な復興融資を得て焼け跡にバラックを建てた。名目値で固定された借地料と負債の実質値は、インフレで急速に減少した。」

「他方において、資産保有階層は、1947年度に財産税を徴収されたのち、インフレによって追い討ちをかけられた。華族、大地主、その他の資産家は、こうして資産を失い、没落した。(農地解放や借地借家法の影響も大きい。)」

著者はまとめる。「戦後経済政策は、『人民』を搾取したのではなく、『資産家』を搾取したのである。利益の程度は人によって差があったとはいえ、数からいえば大部分の日本人が利益を享受したのだ。」

 

僕はこの結論に納得できない。インフレは、資産を目減りさせるが、借金を軽くすることは理解できる。本書では、預金封鎖や新円切替などには直接触れていないが、国民は戦争の直接的な被害に加えて、買わされた戦時国債が紙くずになってしまったり、節約して貯めた預金を吸い上げられたりしたことは事実だ。著者は、国債購入者や預貯金所有者は資産家に分類しているのだろうか。僕が先入観的に持っていたイメージと大きく異なるので、他の資料も調べてみたい。

 

 

 

 

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