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「経済クラッシュ」ノオト その3  戦時補償債務 封鎖預金の区分 

2020-06-08 14:20:55 | Weblog

テレワーク、PC上だけで仕事が進むというイメージが僕のような年寄りにはどうもつかめない。今は止むを得なく在宅で仕事をしているのだろうが、それが可能ということならば、なぜこれまで会社に行っていたのだろうか。人間も動物的な勘を持っているので、対面で気付くことも多いと思うが・・

 

「経済クラッシュ」ノオト その3 戦時補償債務 封鎖預金の区分

(P127)「第九章 昭和の預金封鎖」(荒和雄著『預金封鎖』)では引き続き、預金封鎖を強引に実施するしかなかった最大の要因、戦時補償債務の解消について解説している。

(戦時補償債務)

戦時補償債務とは、戦争の遂行または終戦(敗戦)によって生じた損失について政府がその補償を約束したことによって生じた借金を言う。これを打ち切ることが1946.8月の閣議で決定された。

その内容は戦時補償債務については名目的には支払うものの、実質は戦時補償特別税を100%課して全面的に補償を打ち切るというものであった。その根拠法として「戦時補償特別措置法」と「財産税法」を制定、その具体的な対応策として以下の5つの法律を公布した。「会社経理応急措置法」「金融機関経理応急措置法」「企業再建整備法」「金融機関再建整備法」「復興金融公庫法」である。

(封鎖預金を区分)

政府は戦時補償債務を打ち切ると同時に1946.8.11「金融緊急措置令施行規則」を改正し、封鎖預金を第1と第2に区分けし、第2に関しては金融機関の再建整備完了まで棚上げすることが決められた。この措置は将来預金カットするための布石とみられていた。

第1封鎖預金になったものは

①1口3,000円未満の個人及び法人預金など

②1口3,000円以上の個人預金の場合は、世帯員1人につき4,000円の割合で計算した額(最高32,000円)と15,000円のいずれか多い額

③1口3,000円以上の法人の預貯金の場合は15,000円以下の額

それ以外の預貯金はすべて第2封鎖預金とみなされた。

ちなみに1946.8月末におけるこの区分による預金は、第1封鎖預金534億円(65%)、第2封鎖預金287億円(35%)であった。

第2封鎖預金創設の時から金融機関の再建整備が出来るまでこの預金が棚上げされることが決定していたので、多くの人達は預金カットが将来第2預金を中心として行われるのではないかと危惧した。

(新勘定と旧勘定)

政府は次の手段として1946.8.15に「会社経理応急措置法」と「金融機関経理応急措置法」を公布、即日施行した。これによって経理面から損失を被った企業と金融機関はそれぞれが業務を続けながらその損失を経理面で処理できるよう態勢を整えることにした。言いかえると8.21午前零時現在の時点で資産、負債を新勘定と旧勘定に分け、新勘定は事業の継続に必要で且つ健全な資産と負債を入れ、旧勘定には将来整理が予測される資産と負債とを入れた。

以下は、戦時補償の打ち切りを受ける企業が金融機関の帳簿の中で資産、負債をどのように分類され、実質預金カットされたかの仕組みである。

旧勘定の資産には、企業への貸付金、それに国債、地方債を除く有価証券、その他の指定資産として不動産、特殊預金、戦時補償請求権、在外資産、繰越欠損、実収入などが入った。それに未払資本金としての株主勘定や未整理貸勘定、こうしたものが旧勘定の資産の合計額であった。

一方の負債の方は、第2封鎖預金、特殊預金、軍事融資積立金、あとは資本金、準備金、積立金、退職手当基金、当期利益の株主勘定、それに未整理借勘定がその合計額であった。

要は、信用性のきわめて低いものは資産、負債共に旧勘定に移し、逆に金融機関の再生に役立つものは、新勘定に移すことにあった。

(損失額の確定)

そして実際の損失の処理や確定に関して政府は新たに「金融機関再建整備法」「企業再建整備法」などの法律を公布して企業の特別損失を金融機関の旧勘定の中で整理、双方で突き合わせする作業を繰り返して損失額を確定した。

更に1948.3にはGHQが、一層金融機関の経営健全化を図るため旧勘定での戦時補償がらみの不良債権などの一括処理を命令した。同時に有価証券の評価の厳格化などを実行して含み損の厳格な計上を要求した。更にGHQは自己資本の4.5%の充実を求め各金融機関に増資を促した。このようにして大手銀行の最終処理は興銀を筆頭として特殊銀行約77億円、5大銀行約90億円合計約167億円の損失額を確定した。

(損失額の処理)

そして確定した損失額は、次の順序で処理された。

①旧勘定の最終評価益及びその他の利益と言われる確定益

②旧勘定の積立金

③資本金の90%。

問題の預金カットにからむものとしては、

④法人預金で1口500万円以上のものの500万円を超える部分の70%

⑤法人預金で1口100万円以上のものの100万円を超える部分の30%、

⑥法人預金で1口10万円以上のものの10万円を超える部分の30%、

⑦法人預金の残高部分と個人預金等その他の整理債務の70%などが確定損失の穴埋めに充当されることになった。

こうして第2預金などを財源としての預金カットや資本金の取崩しや利益の捻出計上でもなお不足した損失に関しては、最終的には政府が交付国債によって処理をした。すべての金融機関は1948.3月末まで最終処理を完了した。この最終処理で第2預金封鎖は287億円あったが、かなりの部分がカットされたのだ。(カット率は約70%)

1946.2.17の突然の預金封鎖の公表、即日実施、1948.7の預金封鎖の廃止まで実に2年半の短期間でのスピード処理は、政策面の評価は悪性インフレの退治と戦時補償の打切りへの早期決断という面では効果があった。戦時中、軍の協力工場として政府に協力した企業は、政府から支払いがなく戦時補償債務扱いとなっていた債権が、今回の「会社経理応急措置法」と「金融機関経理応急措置法」によって旧勘定扱いで一括処理されたので、会社の財務内容自体は好転した。そうした資金の一部に国民が戦時下の耐乏生活の中で細々と貯えた預金が使われたのだ。受け入れがたい思いをした人も多かった。

 

 

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