晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『ニッポンの書評』

2011-06-22 20:34:17 | Weblog

 

『ニッポンの書評』(豊崎由美著 光文社新書 2011年刊)

 

 関空からの帰路、機内で3分の2程読んだままになっていたのを読了。

 

 私は、「北海道新聞」の他、土、日のみ「日本経済新聞」を購読している。日経は、土曜日の別刷りと日曜日の書評欄を読むため。その他、ネット上で朝日新聞や紀伊国屋書店、Amazonカスタマーレビューなどを読んだりしている。また、児玉清氏も司会をしていたNHK―BSの「週刊ブックレビュー」も時々視聴する。

 

 では、はたして書評を読んで本の購入を決めているだろうか。否である。なぜなら、書評の対象になる本と自分の興味範囲はあまり重ならないからである。しかし、書評そのものが短文ながら独立した読み物として面白い時もある。

 

 本を選ぶのは、書店で手にとってパラパラめくってというのが一番多いと思う。しかし、書店ではいつも限られたコーナーにしか行っていないような気もする。ジャンルが偏る原因だ。

 

 その人の話を聞いて、その人の著作を読みたくなったというのも随分多いパターンだ。話し振りや身体全体から発する雰囲気の良い人っているのだ。逆に、活字の上では知っていて興味を持っていたが、実際の人物を見て、何か肌が合わないと感じる人物もいる。

 

 あとは知人からの紹介、読んだ本の中で引用されている本、月刊誌論文の作者の著作・・まさに一期一会。まさに新たな出会いの連続である。

 

 

 学校では授業前の朝読書なる取り組みがされているという。目的は、読書習慣を身に付けるためで、それにより文章の読解力や表現力が伸びるというのだ。半ば強制的な取り組みで、それを嫌な子どもにとっては苦痛以外の何ものでもなく、読書嫌いを作り出しているように感じる。

 

 私は、自分の中で本を読む必要がなければ、無理に読む必要は全くないと思っている。本を読んだからといって、それが現在学力とされている能力の向上には直結していないと思う。本は読みたくなったら読めばいいのである。人生の一時期、無性に読みたくなる時が来る。その時に習慣化すればよいのではないか。

コメント
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