『初期マルクスを読む』(長谷川宏著 岩波書店 2011年刊)ノオトその6
第4章 社会変革に向かってーマルクスの人間観―
○その後のマルクス
『経済学・哲学草稿』以降を論ずるに、著者の長谷川氏は、『フォイエルバッハに関するテーゼ』、『ドイツ・イデオロギー』、『共産党宣言』(エンゲルスとの共著)、『経済学批判のために』、『資本論』を参考にし、経済学研究にシフトしていくマルクスの初期の哲学的問題がどのように展開したか、どこが棄てられたのかを明らかにしていく。
○人間と社会の土台としての自然
人間の生と、社会の基盤としての自然との素材交換があり、その持続によって人間は長いあいだ生命を維持し社会を存続させてきた。
人間と自然の素材交換から素材的富(使用価値)が生まれる。『資本論』の有名なフレーズ「ウィリアム・ぺティのいうように、労働が富の父であり、大地(自然)が富の母だ。」
○感覚の歴史性
初期マルクスは、二つの自然、人間の身体としての自然、その身体を取り巻く環境としての自然、その接触の基礎に感覚がある。人間の感覚の高度化は、歴史によって作り上げられてきた、という。しかし、著者の長谷川氏は歴史性を抜きに感覚のありさまを問う感覚論がなりたつという。
○社会性の構造
中期、後期マルクスでは、これ以上の感覚論の展開は無い。その代わり、人間行動の社会性がテーマになる。
ものが作られていく過程は、人類の長い歴史の中にある。人間がものを作り、それによって物質的な生活を行なう時、そこに一定の社会性・歴史性に基づく生産が成り立つ。社会性、社会的存在ということばと、類的生活、類的存在はほぼ同じ意味である。(そこは、感覚と違う。)
○ことばと意識
ことばは他との交流の欲求を基盤として初めて生じてくる。しかし、動物の場合は、自分と相手との関係を一歩引いたところで反省的に見るという意識はない。人間の場合は、関係と、関係の実在を自覚する意識との重層性を持つ。
○関係の構造
社会を構造化してとらえるときの図式、「土台(生活)が上部構造(意識)を決定する。」(『ドイツ・イデオロギー』での表現)
後の、『経済学批判のために』の序文では、「生産関係の総体が社会の経済的構造をなし、現実の土台をなす。その上に法的・政治的な上部構造が作り上げられ、それに見合う一定の社会的意識形態があらわれる。人間の意識が人間の存在を決定するのではなく、人間の社会的存在が人間の意識を決定する」とした。従って、土台をなす経済学の研究に向かうとマルクスは宣言する。
○土台と上部構造
ヘーゲルは、人間は、感覚から出発した意識が高まり、最終的には絶対的な知へ至り、世界大の論理構造を把握できるとする。(理性主義)
マルクスは、意識は完成の域に達するような構造にはなっておらず、現実生活に拘束されており、ヘーゲルの理性主義に異議を申し立てる。
○社会変革のほうへ
マルクスは、土台の重要性を表明する一方で、「哲学者は世界を様々に解釈してきただけだ。大切なのは、世界を変革することだ。」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)と社会変革の問題があることを明らかにする。
著者の長谷川氏は、『共産党宣言』の「これまでのすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である。」というテーゼは、社会変革という実践的課題に身を寄せすぎた、やや限定された歴史認識の表明になっている、という。
*学生時代(1970年代)は、『フォ論』や『党宣言』から入る傾向が強かったため、『フォイエルバッハに関するテーゼ』、『共産党宣言』のテーゼに影響されることになる。そこには、実践と理論、主体と客体という難題が横たわる。
ただひたすら党理論の無謬性を信じ、機関紙を売り歩くなどの理論無き実践の果ては、党組織至上主義に陥る。一方の実践なき理論は、講壇マルクス主義などと揶揄されるが、私は、考え抜くという理論活動も実践のひとつと考える。