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福島第1原発とJビレッジ            

2011-04-16 20:39:44 | Weblog

  事には今に至る因果が必ずあるものだ。

 

以下、Wikipediaから引用する。

 

197642日 2号機事故 構内で火災が発生したが外部には公表されなかった。しかし田原総一郎に宛てた内部告発により事故の発生が明らかになり、告発の一ヶ月後東京電力は事故の発生を認めた。東京電力は「溶接の火花が掃除用布に燃え移った」と説明したが、実際にはパワープラントのケーブルが発火し、偽装のため東京電力社員がダクトの傍でボロ布を燃やしたという噂が下請社員間で流れた。

 

1978112 3号機事故 日本初の臨界事故とされる。この事故が公表されたのは事故発生から29年後の2007322日になってからであった。

 

199099 3号機事故 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。INESレベル2

 

1998222 4号機 定期検査中、137本の制御棒のうち34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。

 

2010617 2号機 電源喪失・水位低下事故。3号機をプルサーマル化する矢先、2号機で冷却機能不全になる事故が発生

福島県内に原子力発電所を含む多くの施設を所有していた東京電力は、1994年に地元への貢献として地域振興施設の造営・寄贈を行うという提案を行った。この時、ちょうど地域密着を掲げて人気を博していたサッカーと結びつけた整備が適当と判断され、日本サッカー協会が協力する形でナショナルトレーニングセンターを設立する合意がなされた。

東京電力は1995年から同地にある広野火力発電所に隣接した町有地に約130億円を掛けて施設整備を開始。5000人収容のサッカースタジアムや各種球技に対応可能な天然芝グラウンド、屋内トレーニング施設、宿泊施設等を建設。1997年に竣工した施設は福島県へ寄贈され、福島県の外郭団体である県電源地域振興財団の所有となった。

同時に施設運営の為に福島県、日本サッカー協会、東京電力からの各10%の出資を中心として株式会社日本フットボールヴィレッジを設立し、ここが施設を借り受ける形でJヴィレッジの管理・運営を行っている。

なお、当時この施設寄贈に対しては、県内の原子力発電所におけるプルサーマル実施を承認させる見返りではないかとする指摘があった。

 

*運転開始後35年余りの老朽原発は、最初から事故と東電の隠蔽体質の歴史であったことがわかる。

Jビレッジが今回の原発事故の避難所として使用されている歴史の皮肉。

 

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