気付いたらこのブログも6年目に突入していました。自己満足で続けているというより、自己不満足のため続いています。20歳代前半に価値観のかなりの部分が固まってしまっていますが、改めて自分を問い直すことができるだろうかという動機からです。5年間で726本、年平均145本を書いたことになりますが、今日のような、内容の薄い原稿用紙の埋め草的な文章もたくさんあります。(反省!)
ただ、最近は走る時間、読む時間、そして考える時間の確保が課題です。
本日も週末ランを実行しましたが、この2週にわたる週末の低温が身体にきついです。先週は、3℃、今日は1℃ですから、冬に戻っています。
いいだももが亡くなりました。40年間ほど雑誌『現代の眼』や『クライシス』などで折に触れ読んできました。独特の講談調の駄洒落の混じった文体に慣れることができませんでした。なお、写真の花はこのことと無関係です。
前世紀の終わりには、『20世紀の<社会主義>とは何であったか 21世紀のオルタナティヴへの助走 』(論創社 1997 )という1000ページを越える大著を出しました。余りにも重い(内容ではなく重量が)本で、左肩が上がらなくなったことを記憶しています。内容からは、あれほど枚数を使わなくても表現できると感じましたが、止め処なく文章が溢れてくる方なのだと思いました。
経歴を調べて初めて知ったのですが、東大法学部を主席で卒業して日銀に入っているのですね。そのまま勤めていれば、日銀の総裁になっていたでしょう。昭和20年代は左翼に人材のいた時代です。
最近では、谷沢永一をはじめ、左右の著名人が80歳代になって次々と亡くなっています。ひとつの時代の終わりを感じます。
教育関係の本を読んでいて、マジックワードを見つけました。「教育的配慮」という両義的な言葉です。