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『初期マルクスを読む』 その5

2011-04-12 20:03:38 | Weblog

ノオトその5

 

第三章 全人的人間像 -『経済学・哲学草稿』を読む2-

○青年マルクスの疎外論

 マルクスによると、現在の市民社会では、人間が本当の意味で自分を実現していない。では、本来の姿とはどういうものか。

 

○私有財産と共産主義

 共産主義は、私有財産の支配する資本主義を乗り越えて、その先に現れる新しい人間社会の成り立ちを表現している。

 

○社会的存在としての人間

 労働の疎外が廃棄される、私有財産が廃棄されると、人間は、宗教、家族、国家、等々から解放されて、人間的な、社会的存在に還る。

 

○男と女の関係

 男女の関係は、人間と人間とのもっとも自然な関係である。

 

○全面的な解放

 人間の本来のあり方とは、共同性の中で力を合わせて一定の共同行為を行なう。その中で、人間がそれぞれに人間性を失わないように生き、働き、そんな生き方を通じて自然とつきあう。その時、社会はより人間的になり、自然はより豊かになる。それが、人間の共同性である。

 

○社会性の交響

 共産主義は、社会性を大切にし発展させていく体制である。

 

○死と人間

 個人の死を社会的な観点から受け入れると、個人は死ぬが、類は生き残る。未来や歴史に対する信頼がベースにある。

 

○全体性と多様性

 人間の対自然の関係、対人間の関係が基軸となって社会の多様化が進む。その過程は、多様化の過程であると同時に全体化の過程でもある。

 

○感覚と社会性

 ごく普通の人間の持つ感覚の中に社会性が十分に生きている。

 

○音楽とマルクス

 五感の働きが、世界史全体を通して人類がこれまで築いてきたものの成果としてある。

 

*統一地方選挙前半が終った。北海道知事選挙で7%の壁に屈した日共候補Mは敗者の弁で、「震災の影響もあり、M内聡の良さを引き出せなかった」と述べた。これは、選対幹部の言葉ではなく本人の言葉である。

 

 通常は自分の力の無さを詫び、運動員への感謝を述べるべきであろう。彼にとって、自分の良さを語るべき者、引き出すべき者とは一体誰なのであろう。彼の内心は、「俺は悪くない、敗因は、良さを引き出せなかった運動員、良さを理解できなかった有権者」であり、大衆蔑視(前衛主義)と責任転嫁と唯我独尊(正義)の哲学がこの一言のコメントに出てしまった。

 

 日共は、かつてマルクス・レーニン主義を掲げていた。現在は、科学的社会主義である。党員の学習に指定されている文献は、マルクス・エンゲルスの哲学書が中心である。『資本論』のような資本主義の客観的経済法則を明らかにした経済学をほとんどの党員は読んでいない。

 

 ここには、主観と客観の転倒という左翼(日共も含める。)の病理の原因がある。

 

疎外論だけでは、疎外の感じ方次第、疎外されていると思い込んだら命がけの革命ということになる。初期マルクスだけからくる限界である。後期マルクスが経済学研究で客観的法則を求めた理由がわかる。

 

 

 

 

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