岸和田だんじり祭り、死傷者が出たりで一見無秩序な祭りに見えるが、地域の共同体毎に長老から子どもまできっちりと役割が分担されている。
自由 その1
これが自由というものかしら
自由になると 淋しいのかい
やっと一人になれたからって
涙が出たんじゃ 困るのサ
やっぱり僕は人にもまれて
皆の中で 生きるのサ
「どうしてこんなに悲しいんだろう」 作詞作曲by拓郎
「自由」というテーマを考えると、自由であることは不自由である、不自由であることは自由である、というパラドックスに直面する。
なんら規範の無い無政府的な社会は、例えば力の強い者に暴力的に支配される可能性がある。すなわち、自由のためには規範が必要となる。
しかし、社会の規範を網の目のように張り巡らすと管理社会になる可能性がある。すなわち、自由のためには規範が不要である。
ここから、自由のためには、規範的な秩序の中に一定の規範の無い空間を作り出す必要がある、というような訳のわからない論理に至ってしまう。
私は、先に国民国家の賞味期限が来ている。しかし、我々は、権力を以って権力を倒すことの失敗に学んだ。ある種の共同体に未来の可能性があるかも知れないが、果たして私自身がその共同体なるものと上手く折り合いをつけることができるか心もとないと表明した。
共同体は、未来的側面を持つと同時に負の側面を持つ。共同体の秩序は、ある種の人々を排除することによって成り立っているのではいないだろうか。被差別(路地)はその典型である。
学校における「いじめ」も共同体として結束のための行為と捉えることはできないか。「いじめ」に教師も加担している例も少なからずあるが、結束のためという点では加害生徒と考えが一致するとすれば納得できるところである。