晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

論語

2010-12-05 17:14:03 | Weblog

 

 三井アウトレットパーク札幌北広島(北広島市大曲3-7-6)大かまど芝のハンバーグ」です。ミニサラダ、俵型ハンバーグ、ご飯、味噌汁、デザート、ソフトドリンクが付いて1,280円、ボリュームがあり全部食べることができませんでした。

 

中央区南1条西4-14三鵬ビル「炭火ハンバーグ・オムライス大かまど芝」の支店です。

 

 

 

 冬の一日は短い、午前中のやわらかな日差し、穏やかな休日の一日を感じさせる。午後になると急に夕暮れを思わせるような空の色に寂しさを感じる。

 

 毎年の事だが、この頃になると日没時刻を調べる。札幌では、124日から15日の16時丁度が一番早い日没である。ちなみに日の出時刻は、1230日から19日の76分が最も遅い時刻ということになる。

 

 

 『渋沢栄一の「論語講義」』(渋沢栄一著 守屋淳編訳 平凡社新書 2010年刊)

 

 書店に行くと何冊もの論語を題材にした書籍が並んでいる。ブームのようである。本書は、明治期、この国の資本主義黎明期に実業家として活躍した渋沢栄一による「論語」の講義録である。

 

 最初に「孔子が言った。・・」と論語の訳、次に「子白・・」と漢語、それについて渋沢が自分の経験や交友のあった人のエピソードを交えながら「論語」の解釈が1セット、それが連なり読みやすい。

 

 渋沢は終生「論語」を自分の人生の羅針盤にしたという。

 

私は、「論語」というものが、生きていくうえで、他人と交わっていく上で、教訓的でかつ自省的な内容のものなのだということが今回初めてわかった。しかし、あまりに厳しすぎて実践は無理。

 

では、なぜ今「論語」に注目なのだろうか。展望が開けぬ社会を反映して、自省の時代ということなのか。そういえば、「論語」には、自分と社会の関係、社会を要因とする記述が少ない。

 

 原因は、自分か社会か、自分を律するのか、社会を正すのか。これは、どちらかというと問いではなく、両方とも必要であり、バランスの問題だ。今は、自分に少し傾いた時代なのであろう。

 

 戦後教育を受けた私たちは、漢文の知識がとても弱いと思う。漢詩が読めない、わからない、掛け軸の書の意味もわからない。漢字とひらがなを交えるというこの国独特の文字表現法を使う上で、漢語を知らないのは大きな弱点と感じる。

 

 最近、日中の意思疎通が巧くいっていない遠因のひとつでもあるのではないだろうか。

コメント
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