晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

情況論ノート 第14回

2007-09-29 19:00:38 | Weblog
 久々に少し長い距離をゆっくりと走る。寒くなったものです。往路は、札幌~北広島間を2時間かけてラン、復路は、JR快速エアポートで16分、感慨深いものがあります。



情況論ノート 第14回

 E-Japan戦略は、この国に「ばら色の未来」がもたらすのか。

 E-Japan戦略とは、誰でも低額な料金で簡単に様々な情報にアクセスでき、役所などの手続きや商品の購入などが自宅や職場にいながらにして行なえるようになる社会をつくるという、政府が2001年に発表した国家戦略である。

 1971年8月のニクソン・ショックからパックス・アメリカーナの衰退が始まり、1980年代アメリカは「世界最大の債務国」に転落した。
 しかし、1990年代、冷戦が終結し、軍事費の削減によりアメリカ経済は好調な伸びを見せた。とりわけ、情報分野では国家が軍事技術を民間に開放し、情報化が急速に進んだのである。(これを「平和の配当」という。)

 1993年に発足したクリントン政権は、ゴア副大統領による「情報スーパーハイウェイ構想」を打ち出し、世界の人々が自由に情報にアクセスできる環境を整えようとした。これにより、アメリカは情報で世界経済に対して有利な立場を確保するとともに、アメリカの経済安全保障として機能した。

 日本は、1990年代不況の中で、アメリカのIT化に比べて、大きく遅れていた。ようやく2000年以降上記のIT政策が動き出した。

 これを、別の側面から見ると、アメリカから日本に対して、1993年以降毎年示している「年次改革要望書」の中で、国民が自由に必要な情報にアクセスできることを要求し、それに日本政府は、e-Japan戦略で応えた。

 アメリカのソフトウェアを使用して、日本国民が自由に必要な情報にアクセスできるということは、アメリカも日本の情報にアクセスでき、日本政府による改革の進捗状況も瞬時に把握できることを意味する。

 ここから、e-Japan戦略は、この国の情報政策という側面とともに、パックス・アメリカーナを延命するためにとられた、アメリカの経済安全保障戦略の一環なのである。



 実際に会社における職場の変容を思い出すと、1985年位にワープロが登場、1997年頃からパソコンが入り、職場LANが2001年頃につながり、今ではメールのやり取り無しには仕事ができない状況になった。

 個人の生活でも、私の場合は遅いが、ケータイがここ数年であっという間に普及し、カードなどのキャッシュレスが普及し、急速に生活が様変わりしている。

 この情況の激変が全て米国の国家戦略によるものとするのは、少し無理があるのでは。ただ、この国で普及しているソフト技術は、ほとんど米国製であり、欧州で開発されたフリーソフトの普及は進んでいないことから、対米従属的な側面も否定できない。

 「アメリカの経済安全保障としてのe-Japan戦略」 土肥 誠による
コメント
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