真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「18才 下着の中のうづき」(2001/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画株式会社/監督:坂本礼/脚本:井土紀州/企画:朝倉大介/音楽:安川午朗/撮影:鏡早智/編集:酒井正次/助監督:大西裕/録音:福島音響/撮影助手:平林利穂/撮影応援:中島美緒/監督助手:躰中洋蔵/演出部応援:伊藤一平/現像:東映化学/デジタルカメラ撮影:今岡信治・田尻裕司・榎本敏郎・女池充/協力:泉田聖・小曾根京子・片良あゆみ・五来恵美・平田亜希子・陣内智子・浜田梢恵・境美登利・坂本仁・境駿平・鈴木賢一郎・細井禎之・ファントムライン/出演:笹原りな・川瀬陽太・工藤あきら・山崎瞳・鈴木あつ子・樋口大輔・山根豊治・中村祥二郎・星野麻伊・海老原由紀・五十嵐愛・佐野ゆかり・伊藤渚・田辺彩・井野朝美・野平美保子)。
 真ん中を端折つた「18才のうづき」でタイトル開巻、これは配信題なのか、DVD題は「連続自殺 メル友」で別にある、ホラーかよ。「ねえ、ハルマゲドン来なかつたね」。今更感の軽く漂ふ、十七ヶ月前ノストラダムス―といふか五島勉―が盛大に外した、2000年の歳末。忍び込んだアトムビルの屋上にて、略称でナカジョの女子高生・舞子(山崎)が彼氏(多分中村祥二郎)と乳繰り合ふ。事後ジュースを買つて来た彼氏の眼前、舞子は足から飛び降りる。遺された舞子の携帯がメールを送信、したタイミングでピンク題でのタイトル・イン。以降ラストまで全篇を貫く、藪蛇なフラメンコ推しが何気に今作最大の謎、金が動いてゐる風にも見えないし。
 その他生徒七人と先生(境美登利までの協力部)に、ビリング頭の計九名がフラメンコ教室に飛び込んで来る。校外でフラメンコを習ふショウジ千尋(笹原)は、同じスタジオに通ふ同級生のヒダカ亮(まこと/恐らく山根豊治)に片想ひするものの、まるで相手にされない。制服の違ふ親友・京子(工藤)が千尋を慰めがてら、メル友であつた舞子の噂話。“綺麗なまゝ死にたい”、“綺麗”の定義を問ひ詰めたい―無論非処女である―舞子の方便に、千尋が何となく共感を示す一方即物的に距離を置く京子は、バンドマンの彼氏・ヨシヒコ(樋口)から連絡が入るや、サクッと千尋と別れ逢瀬に向かふ。置いてけぼりにされた格好の千尋は渋谷の街にて、舞子の事件に興味を示す元教師のウラサワ真(この人もまこと/川瀬陽太)と、牧歌的な出会ひ系を介して遭逢。7セグメントのアラビア数字をフィジカルで差し替へる、造りが結局アナログな東急のパブで“21世紀まであと3日”のある日、京子もアトムビルから飛び降りる。
 凄まじく大雑把な配役残り、星野麻伊から野平美保子までの誰か一人が、千尋にはダンスのことしか頭にないと宣ふたにも関らず、渋谷駅の構内で真がお別れのチュッをして貰ふ美少女。イコール敦子の、恐らく今回きり使つてゐない名義の鈴木あつ子は真の在職当時教へ子。固有名詞が最後まで呼称されぬゆゑ、大絶賛仮名でアツコ。真と要は淫行したのち、卒業後の結婚すら約しつつ、アツコは幹線道路に飛び込む。チュッ子ちやん(超仮名)役以外の七人が、京子や舞子と千尋を迎へる屋上部隊。二十四人投入される頭数を、無事整理出来るとは思はなかつた。と、ころで。受験勉強してゐる気配の一滴も窺へない、留年してゐなければ高三である筈の、千尋の進路については見事か豪快に通り過ぎて済ます。浪人してわざわざ入る、高校の生徒にも更に一層見えないぞ。
 配信では見られないものと諦めてゐた坂本礼第二作が、楽天TVの中にあるのを見つけた国映大戦第五十六戦。喜び勇んだついでで、ザッと探してみたところサトウトシキの「悶絶本番 ぶちこむ!!」(1995/脚本:立花信次=福間健二)も入つてるぢやない。こゝから先は純然たる私(わたくし)の些事でしかないが、近所のスーパーの会員カードがUNiTe Cardに切替へだか吸収。普通に生きてゐると勝手に貯まつて行く、楽天ポイントで戦へるのは非常に捗る、プレイヤーの使用感も悪くない。これで旧素のDMMに劣るとも勝らず画質の酷い、使ひ心地から決して芳しくはないビデオマーケットと縁が切れる。短い間だつたけど、今まで有難う。
 実は舞子と京子が同じロケーションから飛び降りた以外、残りの七人に関してはイントロをスッ飛ばしてもゐる、パラノーマルな少女達の連続自殺。好きな男の子からは木端微塵にフラれ、マブもダイブ。偶さか渦に吞み込まれさうになる少女と、敦子の死と一連のアトムスーサイドに直接の関係なくね?とかいふ、割と根本的かプリミティブな疑問はさて措き、一件の真相に辿り着かうとする男。ほかには八ヶ月後の美波輝海(a.k.a.大貫あずさ/a.k.a.小山てるみ)初陣、「股がる義母 息子の快感」(製作・脚本・監督・編集:北沢幸雄)しかピンクに於ける活動の痕跡なり戦績の見当たらない笹原りなは、下手に攻めれば映画を沈めかねない覚束なさが、元々正体不明の不安に奇跡の調和。あとこの人、モコモコした冬支度でチョコチョコ右往左往する姿がエクストリームに可愛らしく、寄つて抜くよりも寧ろ距離を取つてのロングに映える。亮と同じハンドルの人間とランデブーする千尋の、微笑ましい高揚感。狭義の絡みに止(とど)まらない、真と敦子の絡み。何か贈り物を貰つた真が手を繋いで来た時の、敦子が零すさりげないときめき。他愛ないシークエンスの数々が他愛ないまゝに、超絶のエモーションを随所で連発。舞子と京子、にほか七人。総勢九人の少女―少女ぽくないのが何人もゐるのは気にするな、通り過ぎろ―が千尋を天国だか地獄かよく判らない、今風にいふとハビタット的なサムウェアに誘(いざな)ふ劇中第三次アトムビル。斯くも物騒な場所が、閉鎖されてゐないのが大いなる二つ目の不思議。真が間一髪滑り込む、カット割りは正直御愛嬌ではあれその前段、「せーの」の足下なんてもう完璧。井土紀州の作家性を論じる資質は持ち合はせないけれど坂本礼は確かに、二十有余年後の今なほ相変らず晴れる兆しすら窺へない、空つぽにしては何故か息が詰まる、恒常化した半ば肌身の閉塞感を果敢に正面突破してみせた。それ、だけに。主演女優のオッパイを何と五十五分温存してゐた事実に気づいてから驚かされた、締めの濡れ場に跨ぎで突入。ピンク特有の要請ないし要諦としても、一種のぞんざいさに平素とは真逆の不服を覚えかけたくらゐ。尤も、一旦突入した以上、締めの濡れ場は矢張りキチンと完遂させるべきではあるまいか、と横に振るほどでもないけれど、首を傾げる疑問は否み難い。それが裸映画のみならず、女の裸と映画それぞれに対する責任といふ奴ではなからうか、漸くらしくなつて来た。為に吹く与太は兎も角、よしんばあとから思へば底の抜けた馬鹿騒ぎながら、二十一世紀の火蓋を切る瞬間と興奮とをカメラに捉へ、二月の頭には封切る。如何にも量産型娯楽映画らしい、熱い内に打ちのめすスピード感も清々しい。暗転ならぬイエローバックの黄転で起動するクレジットが、南風そよぐ映画を温かく軽やかに締め括る。今後いまおかしんじの遺志を酌み電撃大蔵参戦でもしない限り、当サイト選坂本礼最高傑作、褒めるのは構はないにせよ今岡信治別に死んでねえ。


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