真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「弱腰OL 控へめな腰使ひ」(2016/制作:Blue Forest Film/提供:オーピー映画/監督:竹洞哲也/脚本:当方ボーカル/撮影監督:創優和/録音:山口勉/編集:有馬潜/音楽:與語一平/整音:高島良太/助監督:小関裕次郎/監督助手:左夏子/撮影助手:高橋草太/スチール:阿部真也/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:辰巳ゆい・しじみ・加藤ツバキ・和田光沙・山本宗介・吉田俊大・橘秀樹・森羅万象・那波隆史)。
 日没の地方都市のロングに、「昼とはガラリと変る、夜の街の景色が好きだ」と辰巳ゆいのクレジット起動。変りたいだ変れないだの独り言ちつつ、ヘッドフォンを装着した辰巳ゆいはもどかしい現実を忘れさせてくれるとの夜の街を歩き、山本宗介の車の助手席には、後述する日出美とは逆コースで一旦帰郷と再上京を経ての、加藤義一の監督デビュー十周年記念作「どスケベ検査 ナース爆乳責め」(2012/脚本:小松公典/主演:あずみ恋・Hitomi)以来、脱ぎありの三本柱としてだとその前作、渡邊元嗣2011年第五作「エッチ指南 はだける赤襦袢」(脚本:山崎浩治/主演:眞木あずさ)以来のピンク帰還となるしじみ(ex.持田茜)。山本宗介がカーステをつけるとポップで力強いエレクトロが鳴り始め、加藤ツバキはラブホにて吉田俊大と逢瀬を交す。ホッつき歩く辰巳ゆいが、ネチャッと踏んだ汚物に上下からタイトル・イン。シュッとした開巻に、この時はまさかこんなことにならうとは。
 仕事に没頭する部数を漸減させるタウン誌『大里CLiPS』の編集員・布野桐子(辰巳)に、編集長の野田佳代(和田)は原日出美が又ぞろ取材先の男と関係を持つたとのクレームに頭を抱へる。当の日出美(しじみ)は桐子を前に欠片も悪びれるでなく、取材で知り合つた板前・熊野真人(山本)と二度目に寝る。人妻の大須木乃美(加藤)は同窓会で再会した雲井亘(吉田)と不倫を重ね、日出美とは対照的に、浮いた話のまるで聞こえて来ない桐子は日出美に薦められた昼間しか飲めない美味しいコーヒーを飲みに行つた喫茶店で、ナポリタンを常食する早期退職した元教師・鮫川陽介(那波)と出会ふ。
 配役残り森羅万象は、最後まで首から上は抜かないつもりかと気を持たせた茶店のマスター。肝心要の土壇場でのフェイス・オープンは、確かにか僅かに有効。この人の場合茶店のマスターよりも、定食屋の大将の方が数兆倍しつくり来るやうな気がする些末は、我ながらどうでもいい。橘秀樹は桐子にトラウマを残す、望まぬ性行為を強要した高校生時代の彼氏。辰巳ゆいが現在の桐子の弱腰OLぶりを綺麗に形にしてゐる以上、幾ら絡みの種とはいへ蛇足気味のエピソードといふ以前に、ウルトラ大人の女であるにも関らずおさげ×セーラー服で武装した辰巳ゆいの何気な破壊力。多分昼間はゐない茶店のウエイトレスは、演出部動員で左夏子か、おいとしか配偶者を呼ばない木乃美夫の声の主は不明。
 東京ではOPP+の上映が終了した翌日といふタイミングで我等が前田有楽に着弾した、竹洞哲也2016年最多第五作。予告を見た限りでは、三者三様の恋愛模様が2015年第六作「恋人百景 フラれてフつて、また濡れて」(脚本:当方ボーカル/主演:友田彩也香・樹花凜・加藤ツバキ)で到達した深く大きな視座に辿り着くものかと、思ひきや。木乃美はビリング頭二人と劇中掠りもしないのに加へ、桐子と日出美の傍らを、それぞれ男が通り過ぎて行くだけの何も起こらなければ変りもしない、それどころかそもそも変りたい気配さへ殆ど窺はせない展開には、トムとジェリーの如くあんぐり開いた口の顎が接地した。鼻につく那波隆史のウェットな惰弱さと筆卸男優部の軽薄さを除けば一幕一幕の完成度は決して低くなく、まさかよもや主演女優の濡れ場を見せない一大横紙破りをやつてのけるのではあるまいなと、逆の意味でのスリリングは尺が押し迫るにつれ猛然と加速しはするものの、思はせぶりなばかりで、結局何ッにもない何ッでもないスッカラカーン具合には唖然とした。一本の劇映画として成立してゐるのか否かから甚だ疑問なレベルで、起承転結を木端微塵に粉砕する箍の外れたルーチンが、前衛性の領域にさへ突入しかねない御大映画でも観てゐた方が全然マシ。どうやら、OPP+版では如何程かは知らぬがその辺りも補完されてあるやうだが、だから何度でも繰り返す

 知るか

 ピンク映画の新時代を切り拓かうとする―あるいはより直截には延命―問題意識とそれなりの戦果も上げてゐさうな営み自体は兎も角、それで旧来の小屋に木戸銭を落とした客を蔑ろにして済ますのだとしたら、本末転倒の名にすら値しない。となると改めて脳裏を過るのは、ピンクと、女の裸をオミットして代りに素のドラマを上乗せした一般映画とを一発で二本撮りする方法論に於いて先行した上に、出来上がつたデジエクでは何時も通りに何時も通りの筋を通してゐるのに対し、山﨑邦紀が好き勝手し倒した一般映画版を逆に自分の映画ではないとまで時に口滑らせる、浜野佐知のジャスティス感も迸る稀有な離れ業。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )