1月18日(水)
東日本を襲った忌まわしい大震災から十ヶ月あまり、こちらでは昨日の17日に17年目の「震災忌」を迎えました。
「二度とこんな悲劇を味わってはならない」と祈り続けてきたのに、昨年その傷も癒えないままの中で、日本の社会はさらに大きな悲しみを背負ってしまってのです。東日本の被災地の人たちはもちろん、17年前の出来事からようやく立ち直ろうとしていた人々にとっても、2011年という年は、なんとも言いようのないやりきれない年になってしまいました。
まもなくやって来る3月11日を、日本の社会は新たな祈りの日として迎えなければなりませんが、その前に、阪神淡路の人々は17年前を思い起こし深く頭を垂れるのです。
今年も、東遊園地へ献灯と献花に行きました
東日本大震災犠牲者の慰霊をと、雪だるまと行灯も
大災害の中で直接の犠牲者にはならなくても、社会や家族から取り残されて孤独死をする人や自ら命を絶つ人もたくさんいます。
そんな中で、苦難から立ち上がり懸命に生きている人たち。助け合い、励まし支え合って、かろうじて生きている人たち。実にけなげです。
そういう人間の姿を「絆」「支え」という美しいことばで象徴して日本人の精神のすばらしさを褒め称えるのは、それはそれでいいとしても、私たちは決して美化された曖昧な幻想に酔いしれたりしてはいけないのです。
目の前には、復興の遅れや原発の後処理等々、いっこうに解決しない難題が立ちふさがったままなのですから。
かうべ垂る思ひ重きや遠き春 弁人
次は、三宮駅近くの神戸市の勤労会館へ
「東日本大震災被災地と結ぶ阪神・淡路大震災17年メモリアル」という集会です
共産党系の団体が主催する集会ですが、神戸大名誉教授で地震学者の石橋克彦氏の「原発震災をくり返さないために」という講演を聞きたいと思って出向きました。
17年前の地震を気象庁は「兵庫県南部地震」と名付けましたが、一般には「阪神淡路大震災」と言います。同じように、昨年の地震の名称も「東北地方太平洋沖地震」ですが、私たちは「東日本大震災」と言っています。
これは「地震」や「津波」というのはあくまでも自然の現象であって、それに伴う被害が「震災」であるということを意味していて、言ってみれば当たり前のことですが、いろいろなことを考える上で、実は大切な認識だったのです。
講演はこういう内容から始まり、今後発生するであろう東海地震や南海地震などの話へと進んで行きました。
簡単に言うと、地球の構造上、日本列島では今後も確実に大きな地震がやって来るのですが、これは自然現象ですからどうにもなりません。問題は、その被害、つまり「震災」をいかに最小限に食い止めるかということなのです。そしてこの部分は、人間の営みにかかっているのですから、なんとしても、あらゆる手だてを講じる必要があるのです。
と考えれば、「原発」というものがとてつもなく危険な存在であるということがわかります。
ところで、この集会は政党色のある会なので当然ですが、はじめに国会議員の挨拶などが続き、さらに今回の主眼である阪神大震災からの復興の諸問題と東北3県の被災地からの現状報告があったので、講演は夕方になってしまいました。私は次に別の予定を組んでいたので、残念ながら「原発震災」の話が本題に入る前段のところで中座することになってしまいました。
日がとっぷりと暮れたころ、神戸市灘区の区民ホールへ
竹下景子さんが震災の中から生まれた詩を朗読する「詩の朗読と音楽の夕べ」です。震災の翌年から続いてきた音楽会で、14年前から竹下景子さんの詩の朗読が加わって有名になった催しですが、東日本大震災を受けて、この3月から新たに舞台を仙台に移して行われることになりました。
明石に来てから、毎年行きたいと思いつつ果たせずにいましたが、神戸では今年が最後ということでチケットを取ったわけです。
ピアニストの林晶彦さんの演奏をバックに詩を朗読します。音楽もさることながら、ことばの力というものを存分に引き出すところ、さすがにプロの女優という感じです。
昼間の会とは対照的に抒情的な世界。その雰囲気にひたりつつ、心の中に堆積して行くのは、「故郷を愛する日本人」「忍耐強い日本人」と思わせつつ、実は、日々迫り来る苦難とやるせなさの中でかろうじて生を維持している人たちの現実の重みでした。
詩に託す声ずっしりと冬の暮 弁人
閉会の前に、NHKの大河ドラマにいちゃもんをつけたとかいう兵庫県知事が登壇し、竹下恵子さんへの感謝状贈呈というセレモニーがあったところで、少しばかり日常の世界に戻されてしまいましたが、人の叫びを謳い上げる朗読と音楽にすっかり引き込まれた夜になりました。
21時に会場を後にして三宮行きのバスに乗りました。夜の神戸の静かな町並みを眺めながら思いました。
何事にも主権者たる国民がしっかりすることが基本ですが、現実に国家・社会を動かしている官僚や政治家に実行力が乏しく、庶民の心をかろうじて支えている「絆」とか「思いやり」とか「希望」とかいう美化された概念に甘えて、本当に大切なこと-日本社会のあるべき未来の姿-というものを見失っているのではないかと。
その結果、現実には、復興の多くの部分が苦境の中で生きている被災者の辛抱強さに頼ることになってしまっているのではないかと。
東日本を襲った忌まわしい大震災から十ヶ月あまり、こちらでは昨日の17日に17年目の「震災忌」を迎えました。
「二度とこんな悲劇を味わってはならない」と祈り続けてきたのに、昨年その傷も癒えないままの中で、日本の社会はさらに大きな悲しみを背負ってしまってのです。東日本の被災地の人たちはもちろん、17年前の出来事からようやく立ち直ろうとしていた人々にとっても、2011年という年は、なんとも言いようのないやりきれない年になってしまいました。
まもなくやって来る3月11日を、日本の社会は新たな祈りの日として迎えなければなりませんが、その前に、阪神淡路の人々は17年前を思い起こし深く頭を垂れるのです。
今年も、東遊園地へ献灯と献花に行きました
東日本大震災犠牲者の慰霊をと、雪だるまと行灯も
大災害の中で直接の犠牲者にはならなくても、社会や家族から取り残されて孤独死をする人や自ら命を絶つ人もたくさんいます。
そんな中で、苦難から立ち上がり懸命に生きている人たち。助け合い、励まし支え合って、かろうじて生きている人たち。実にけなげです。
そういう人間の姿を「絆」「支え」という美しいことばで象徴して日本人の精神のすばらしさを褒め称えるのは、それはそれでいいとしても、私たちは決して美化された曖昧な幻想に酔いしれたりしてはいけないのです。
目の前には、復興の遅れや原発の後処理等々、いっこうに解決しない難題が立ちふさがったままなのですから。
かうべ垂る思ひ重きや遠き春 弁人
次は、三宮駅近くの神戸市の勤労会館へ
「東日本大震災被災地と結ぶ阪神・淡路大震災17年メモリアル」という集会です
共産党系の団体が主催する集会ですが、神戸大名誉教授で地震学者の石橋克彦氏の「原発震災をくり返さないために」という講演を聞きたいと思って出向きました。
17年前の地震を気象庁は「兵庫県南部地震」と名付けましたが、一般には「阪神淡路大震災」と言います。同じように、昨年の地震の名称も「東北地方太平洋沖地震」ですが、私たちは「東日本大震災」と言っています。
これは「地震」や「津波」というのはあくまでも自然の現象であって、それに伴う被害が「震災」であるということを意味していて、言ってみれば当たり前のことですが、いろいろなことを考える上で、実は大切な認識だったのです。
講演はこういう内容から始まり、今後発生するであろう東海地震や南海地震などの話へと進んで行きました。
簡単に言うと、地球の構造上、日本列島では今後も確実に大きな地震がやって来るのですが、これは自然現象ですからどうにもなりません。問題は、その被害、つまり「震災」をいかに最小限に食い止めるかということなのです。そしてこの部分は、人間の営みにかかっているのですから、なんとしても、あらゆる手だてを講じる必要があるのです。
と考えれば、「原発」というものがとてつもなく危険な存在であるということがわかります。
ところで、この集会は政党色のある会なので当然ですが、はじめに国会議員の挨拶などが続き、さらに今回の主眼である阪神大震災からの復興の諸問題と東北3県の被災地からの現状報告があったので、講演は夕方になってしまいました。私は次に別の予定を組んでいたので、残念ながら「原発震災」の話が本題に入る前段のところで中座することになってしまいました。
日がとっぷりと暮れたころ、神戸市灘区の区民ホールへ
竹下景子さんが震災の中から生まれた詩を朗読する「詩の朗読と音楽の夕べ」です。震災の翌年から続いてきた音楽会で、14年前から竹下景子さんの詩の朗読が加わって有名になった催しですが、東日本大震災を受けて、この3月から新たに舞台を仙台に移して行われることになりました。
明石に来てから、毎年行きたいと思いつつ果たせずにいましたが、神戸では今年が最後ということでチケットを取ったわけです。
ピアニストの林晶彦さんの演奏をバックに詩を朗読します。音楽もさることながら、ことばの力というものを存分に引き出すところ、さすがにプロの女優という感じです。
昼間の会とは対照的に抒情的な世界。その雰囲気にひたりつつ、心の中に堆積して行くのは、「故郷を愛する日本人」「忍耐強い日本人」と思わせつつ、実は、日々迫り来る苦難とやるせなさの中でかろうじて生を維持している人たちの現実の重みでした。
詩に託す声ずっしりと冬の暮 弁人
閉会の前に、NHKの大河ドラマにいちゃもんをつけたとかいう兵庫県知事が登壇し、竹下恵子さんへの感謝状贈呈というセレモニーがあったところで、少しばかり日常の世界に戻されてしまいましたが、人の叫びを謳い上げる朗読と音楽にすっかり引き込まれた夜になりました。
21時に会場を後にして三宮行きのバスに乗りました。夜の神戸の静かな町並みを眺めながら思いました。
何事にも主権者たる国民がしっかりすることが基本ですが、現実に国家・社会を動かしている官僚や政治家に実行力が乏しく、庶民の心をかろうじて支えている「絆」とか「思いやり」とか「希望」とかいう美化された概念に甘えて、本当に大切なこと-日本社会のあるべき未来の姿-というものを見失っているのではないかと。
その結果、現実には、復興の多くの部分が苦境の中で生きている被災者の辛抱強さに頼ることになってしまっているのではないかと。