チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

東日本が壊滅しそうになった日、明石にて

2011-03-14 05:45:31 | 身辺雑記
3月14日(火)


  
 動画は、東北で大震災の起きた11日(金)の夕方。普段どおりに保育園から帰る時のKAZU君です。春三月とはとても思えない冷え込んだ夕方でした。

 この日は明け方に小雪がちらつき、いったい、いつになったら春らしい日が来るのだろうと首をすぼめていたのですが、「三月中旬に入ってのこの寒さ。ほんま、堪忍しておくれやす」という声がラジオから流れて来て思わず苦笑。

 ちょうど「そろそろブログを更新しないと」と思っていたところだったので、そうか、今日の記事は「寒い春、堪忍しておくれやす」という題にしようと決め、明石の町へ買物に出ました。

 なんか、駅付近の雰囲気が少し賑やかに見えました。「そうだ、野球だ」とふと気がつきました。実は、明石球場で楽天-ロッテのオープン戦があったのです。一週間ほど前までは、天気がよかったら行ってみようかと思っていたのに、寒い日が続いている間にすっかり忘れてしまっていました。

  
 試合開始は13時。あんまり寒いけど、投げるのが岩隈かマー君だったら途中まで見てみようかと球場に行ってみましたが、二人とも今日の登板はないようなので帰りました。
 (なお、この試合は地震の報が入った後、打ち切りになったということです。楽天は仙台ですから当然ですね)

 ところで、野球を観ないのなら、今日もう一回チャレンジしてみようかと急に思い立って、月曜日に予定していたはずなのに、魚の棚でイカナゴを手に入れて、午後はラジオを聞きながら「くぎ煮」を炊いていました。

 2時半過ぎ、ラジオで「スタジオが揺れています。地震のようです。リスナーの皆さん、慌てずに今後の情報を待ってください」というアナウンスがありました。
 私は全く感じませんでした。吊り下げてある明珍火箸も動いていません。

 それから間もなく、仕事で北九州にいるという長男から電話があって、「お母さん、今日は逗子に帰っているんだよね。東日本の方でかなり大きな地震があったらしいから、連絡しているんだけど、全く通じないんだ」とのこと。
 こちらはいい気なもんです。「わかった。いまイカナゴを火にかけていて手が離せないので、あとで連絡してみる」と返答しておいて、しばらくしてからテレビをつけてびっくり。

 さっそく携帯を手にしましたが、長男の言ったとおり電話はまったく通じません。メールにしてみようかと思っていると、妻君から先にメールが来てしまいました。
「まだ揺れている。電気、ガス、電話ダメ。津波警報発令中。とりあえずの食料は確保。テレビが映らないのでニュースを見ていてほしい」とのこと。

 現場にいる人間の逼迫した感じは伝わってくるものの、遠く離れた平穏なところにいると「そんなんなってんのか」と改めて気を引き締めた次第。


    東国の寒さ背筋に貫けり   弁人


 テレビに「瀬戸内海に津波注意報。神戸、姫路、第一波の到達は17時10分頃。高さ50cm」のテロップ。
 津波は第二波第三波と次第に大きくなります。50cmというのは大したことがないようですが、たしか数年前の宮城の地震でも、50cmの予報で、女川の魚市場に水が流れ込んで来るのを映像で見たことがあります。保育園は海のそばで海抜が低そう。
 そう、KAZU君のお迎えには、毎日17時15分に出て、保育園に17時25分着というのが日課なのです。

 テレビを見ているうちに、どんどん不安になってきたので、少し早めに迎えに行ってみたのですが、保育園の雰囲気は全く無事平穏の空気。KAZU君も冒頭の動画のとおり、「えびすさま、おさかな、持っとるで」と話しかけてきて、なかなか車に乗ってくれませんでした。


    瀬戸内は寒い寒いの愚痴ばかり   弁人


 こちらでは、16年前の震災の話題も飛び交っておりますが、その時も部外者であった私は、またまた少しうしろめたい気分になってしまうのでした。

 一晩中、情報もなく暖もとれずに布団にくるまっていたという妻君。昨夜は、余震でまるで乗り物酔い状態だと言っておりまして、さすがに申し訳ない気分に。
 ということで、これから逗子へ向かうことにしました。

 「遅いか、やっぱり」

コメント
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