チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

思い複雑-センバツ高校野球開幕

2011-03-23 10:18:23 | つぶやき
3月23日(水)

 「プロと高校野球は事情が違う」「若者の真摯な姿が勇気を与える」「被災地へ向けて元気を発信したい」ということで、予定どおり、今日、春の甲子園が始まりました。

 野球好きには待ちに待った日なのですが、心のどこかに「本当にいいのか」という思いが引っかかってしまいます。

 16年前の阪神大震災。あの時は、会場の甲子園球場自体が損傷を被り、近くの阪神高速道路も倒壊しました。地震が起きたのは1月17日。二ヶ月後に甲子園で大会ができるとは、とても考えられる状況ではなかったのです。
 ところが、会場の球場が被災地であったのにもかかわらず、その被災地の中から人々が立ち上がり、復興の足がかりを見出し、自らの力で高校野球の開催にこぎつけたということで、今回の状況とはちょっと違った意味合いがあったのです。

 今回は阪神地域から遠く離れたところの地震でしたから、会場の準備や大会の運営には全く支障がありません。選手が集まればいつでも開催が可能なのです。そして、もし高校野球が被災者の方々へ元気と希望を与え、励ましにもなるのなら、開催はたしかにいいことなのでしょう。おそらく、関係者も高校野球ファンもそういう思いで今日を迎えたのだと思います。

 でも、まだ地震から二週間も経っていません。行方不明者は依然として1万人を超え、原発の事故も未だ予断を許さない状況が続いたままなのです。

 東北高校の球児が元気に大阪入りをしたと聞きますが、彼らの家族、親類、知人は皆無事で元気にしているのでしょうか。人間のつながりは無限です。一人ひとりの状況も違うでしょう。したがって、どこまでの範囲でと決めつけることはできませんが、今の状況で、後ろ髪を引かれる思いで大阪入りした球児は本当に一人もいないのでしょうか。

 甲子園は、野球をする若者にとってはまさに夢の舞台です。誰もが「そこで野球がしたい」と思うでしょう。そんな彼らの純粋な心に、大人たちが「こんな時こそ、沈み込んでいる人たちのために、君たちの元気を見せて生きる勇気を伝えてほしい」と声をかけることが果たして正しいのかというと、どうしても確信が持てません。

 例えばの話ですが。家族を失って沈み込んでいる被災地の子どもたちに思いっきり遊んでもらおうと、どこか、安全で楽しい場所に招待する。久しぶりの屈託のない子どもたちの笑顔を見て、大人たちはホッとして胸を熱くする。
 高校生はまだ大人でないと言えばそうかもしれませんが、無邪気に遊ぶ子どもでもありません。ボランティアもできるし、大人の世界もかなり知っています。大人と違う最大のものは、打算に走らずに物事を真っ直ぐに捉える純粋さを持っているところで、その分大人より感受性が強く傷つきやすいのです。

 未曽有の大地震からまだ300時間も経っていません。200時間以上経ってから助け出されたお年寄りとお孫さんもいました。まだ壮絶な戦いの最中なのです。東北の球児たちはそういう被災地の現状を目のあたりにして、右往左往しながらそれぞれいろいろな思いを巡らしていたのです。大人からの「君たちの力で元気を、勇気を、希望を」ということばが、この若者たちに手を差し伸べたことになるのかどうか、今そういう段階なのかどうか、やはり簡単には判断できません。


     待ちわびた春に憂ふる球児をり  弁人



 ところで、阪神大震災のあった16年前のセンバツ大会。地元兵庫からは神港学園、育英高校、報徳学園の3校が出場しました。被災地からの出場ということで、地元の後押しだけではなく全国の野球ファンからの声援を受け、3校とも初戦を見事に突破。たしか神港学園はベスト8に入ったと思います。とにかく兵庫県勢は頑張ったという記憶が残っています。

 この大会、本当に被災地から登場した学校は頑張りました。報徳学園野球部はこの時の頑張りを新しいスローガンにしているのです。そこで思い出されるのが1回戦の報徳学園対北海高校の試合です。私はテレビで見ていたのですが、その模様は今でも脳裏に焼き付いています。

 北海高校のエース岡崎君は,前年の末にオーストラリアで行われ、日本が優勝した第一回アジア3A大会の日本チームのエースでした。日本チームを率いた横浜高校の渡辺監督も彼の力量を高く評価していました。その前、秋の北海道大会でも優勝投手になっています。私はちょうど用事があって、10月の連休に札幌にいたのですが、時間もあったので、準決勝、決勝の試合を丸山球場で見ていました。伸びのあるストレートと見事にコントロールされたキレのある変化球。センバツでの彼の活躍は間違いないと大きな期待感を抱きました。

 そして甲子園。北海高校の相手は復興のシンボルとして登場した報徳学園でした。

 その試合がどんな状況で行われたのか、もうおわかりでしょうか。なにしろ球場全体が報徳学園への大声援だったのですから。

 岡崎君は異様な雰囲気の中で多少制球に乱れがあったものの、6回まで無失点。その間に味方から3点の援護をもらいました。しかし、なにしろ相手は「逆転の報徳」という異名を持つ学校です。その上、大観衆からの重圧を受ける中で、終盤じわじわ追い詰められ、最後は3-4の逆転負け。
 なにしろ、彼がストライクを投げると球場が静まり、外れれば何万人もの喜びのどよめきが響くのです。もちろん、報徳の投手の時はその反対という具合なのですから、どんな強心臓の若者であっても、とても冷静な試合運びはできない雰囲気になっていたのです。

 情に厚い日本人、判官びいきの日本人。それ故に愛されるのが高校野球なのでしょうか。この春もまた16年前と同じ光景を目にするのではないかと想像すると心が傷みます。

 とにもかくにも、始まってしまったセンバツ高校野球。6日目の第一試合に、被災地から困難を乗り越えてやって来た、けなげなナインが登場します。正々堂々と戦うのが真剣勝負ですから、相手がどうのこうのという感傷に浸っていては試合になりません。両チームとも全力を尽くしてほしいと願うばかり・・・。
 そんなことは当たり前のことなのです。でも・・・、昨日のラジオでは、「仕事を休んでも東北高校の応援に行く」という関西の人のメッセージが紹介され、アナンンサーが「素晴らしい、だから高校野球は人気があるのだ」というご満悦のことばが流れていました。
 こんな雰囲気の中では、今回もまた、どう考えても普通のゲームになってくれるとは思えないのです。今はただただ、対戦する大垣日大の選手たちの闘争心の萎えることがないことを願うばかりです。


     球春やウキウキできぬ甲子園   弁人

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