チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

春を告げる法会-二月堂修二会

2009-03-11 23:56:09 | お出かけ・散策
3月11日(水)

 春を告げる行事として有名な東大寺二月堂の「修二会(しゅにえ)」。大きな松明が欄干を走り抜ける光景は、テレビでもよく紹介されます。

 旧暦の2月12日の夜半過ぎに神聖な水を観音菩薩にお供えするところから「お水取り」と言われていますが、その12日前から2週間、「お松明」による「火の行」が行われます。

 今年は3月1日からで、さっそく夜のテレビニュースで紹介されていました。ちょうど琵琶湖のマラソンを見てきた日だったので、帰りに奈良まで足を伸ばせばよかったと後悔しました。そんな気分で、勇壮で幻想的な光景を思い浮かべているうちに、やはりじっとしていられなくなりました。
 情報によると、12日以降は大変な混雑で入場規制があるとのこと、10日の火曜日(昨日)は天候がよさそうということで出かけました。


 夕方までに着けばとも思いましたが、せっかく奈良まで行くのだからと朝から出かけました。でも花粉症がひどくてゆっくりと散策という気分にはなれません。大阪へ出る電車の中で「お湯にでもつかって花粉を洗い流してから行こうかな」と思いつき、阿倍野橋から近鉄南大阪線に乗って、富田林の東の太子町にある太子温泉へ。
       
   

  あたりは一面のビニールハウス。ぶどう栽培だそうです
  

 ここは近くに聖徳太子の廟があって、そのゆかりの温泉とうたっています。大阪府ですが、すぐ東の県境には
 「もも伝たふ磐余の池になく鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」
という辞世の歌で有名な大津皇子が眠っている二上山が横たわっていて、のん気にお風呂につかっているのも気が引けるようなところです。
  車窓からの二上山
   


   光る風いにしへおもほゆ太子の湯   弁人


  橿原から京都線で奈良へ
  

 16時ごろ近鉄奈良駅に着きました。改札を出たところに案内の人がいて、入れなくなると大変なので早く行っていたほうがよいというアドバイスがあり東大寺へ直行。
  大仏殿前
  

  夕方の二月堂、西向きなので夕日に映えていました
  

  点火前のお松明
  

  カメラマンや場所取りの人はいましたが、まだガラガラでした
  

 お松明は19時。シートも携帯のイスもないので、開山堂の石段に座って、かゆい眼と寒さと闘いながらじっと待つこと2時間余り、やっとその時が迫ってきました。
 見物人もどっと増えて、もう火の粉のかかる方へは近づけなくなりました。
  

 その時、目の前の三月堂の上に丸いお月さまが(この日は旧暦2月14日で満月の1日前)。まさに「春日なる三笠の山に出でし月」なのでした
   


    お水取り三笠の月に照らされて  弁人
  

 いよいよ明りが消され本番です。松明は10本ですが、次々とは登場しません。1本が北西の角で火勢を整え、一気に南西の角へ走り南側で一段落しそうなころ、次の松明が北側から現れます。並んで何本もと想像していましたが、1本ずつ思ったよりゆっくりというところがかえって幻想的な美しさを映し出していました。僧の姿はよく見えませんが、とにかく勇壮で力強い動きが手にとるようにわかるダイナミックな光景でした。
  


    修二会僧影法師となり踊りけり


 プロの写真は実にきれいです。おそらく2~3分シャッター開放にしているのでしょう。こんなにたくさんの光は実際にはありません。
   


〔余談〕 帰りは近鉄奈良線で鶴橋に出、環状線で大阪駅へ向かいました。ところが、大坂城公園で事故による運休で降ろされてしまいまったのです。運休が鶴橋なら、いや途中駅の玉造や森ノ宮でも、次の京橋でも乗り換えができたのに、夜遅く土地勘の乏しいところで途方に暮れました。電話で娘のアドバイスももらい、なんとか地下鉄のビジネスパーク駅まで歩いて梅田にたどり着いたのでした。


コメント
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