チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

小田原ういろう物語 その4(最終回)

2009-03-08 01:54:41 | 小田原ういろう
3月8日(日)

 このシリーズはずいぶん間があいて、前回の「その3」から3カ月ほど経ってしまいました。

 10月に、明石銀座の和菓子屋さんで「ういろ」を発見したのがきっかけで、「ういろう」の思い出を綴ってみたのですが、話が長くなってしまい、分割して載せてきたわけです。
 今回は最終のつもりで、昨年夏の「外郎売の口上大会」に参加した話で締めくくりたいと思います。

 昨年の夏、KAZUが生まれたあと、秋から明石へという話になりました。はじめは「まあ、いいか。けっこうおもしろいかも」という気楽な思いでしたが、よーく考えるとそんなに簡単なことでもないのでした。

 気分的なことで言うと、何事も先が見えないのはちょっとつらいもの。ところが、いつまでという話にはならず、とりあえずという状況。
 「須磨・明石を流離った光源氏のように、いずれ戻ってくるんだ」という思いの中で、ふと、道真のように西国に留まったままの人のためしも頭をよぎって、ちょっと複雑な思いに駆られていました。

 そんな時に、八月の末に行われる「外郎売の口上大会」の参加者募集を知り、神奈川での思い出のひとつになるかもしれない、それに「群読」ならステージの隅で大声を出していればいいという気楽な気分もあり、参加の申し込みをしたのでした。

  

 小田原市民会館での「口上大会」は第一回の時に見に行きましたし、それ以外の催しにも出向いたことがありましたので、どんな人たちがどんな活動をしているかということもだいたいは知っていました。

 キッズの演技(小田原ちょうちん祭り)
  
 
   夕立が来ても動ぜぬ気合ひかな   弁人


 若かりし時から声の大きさには自信があったのですが、いざ練習会で発声すると素人丸出しで、さすがにふだんから活動されている方にはかないませんでした。それに「群読」の途中で、一人がワンフレーズずつ「早口言葉」をリレーするところがあって不安が襲ってきました。全部暗記しているんだという自負がいくらあっても、いざ大声で口を動かすと舌が回らないのです。そんなわけで、車の中、海岸の港の突端で、布団の中でとずいぶん練習をしました。

「おちや立ちよ茶立ちよ、ちやつと立ちよ茶立ちよ」
「菊栗きくくり三きくくり、合わせて菊栗六きくくり」
「麦ごみむぎごみ三むぎごみ、合わせて麦ごみ六むぎごみ」
というところなんかに当たったらどうしようという気分でしたが、幸い、私の担当は
「摘み蓼摘み豆摘み山椒、書写山の社僧正」
というところになり、少し胸をなで下ろしました。

 ところが、担当が決まったあと、もう一つ役割がまわってきたのです。
 後半に「おっと合点だ」というところがあり、この部分だけは誰かが一人で発声することになったのです。そして声も背も大きい私が指名されました。ことば自体は簡単なのですが、「群読」の最中なので、発声のタイミングに戸惑いました。さらにイントネーションやテンポなんかを考え出すと、どんどん難しくなってくるのです。でも、子どもたちからお年寄りまで全員が一生懸命な中で、その雰囲気に引っぱられてなんとかなりました。

 キッズの子どもたちはとても気さくで、楽屋の前や舞台のそでで会うと「おっと合点の先生だね」と呼びかけられ、「よろしく」とか「がんばって」とか声をかけてくれました。ちょっとしたことなのですが、こんなやりとりがとてもうれしくて、ほんとうに参加してよかったと思いました。

  群読
 

  参加者みんなで
 


    口上の声和してくる走馬灯   弁人


 大会のあとの反省会では、異口同音に「来年もがんばりましょう。明日からまた練習ですね、よろしく」ということばが出てくるので、私も笑顔で受け答えをしていました。
 秋になってから、「どうしたのですか、定例の練習会にいらっしゃって下さい」という声もかけていただきました。そんなことがあって、明石に来る時もちょっと後ろ髪を引かれる思いがあったのです。それからもう半年になりましたが、今はこちらに来る前の大切な思い出になっているのです。
 
 ということで、私のような者を優しく受けいれていただき、期待までしてくれた方々への感謝と罪滅ぼしの意も込めて、このブログで「外郎売の口上」とその活動の一端を紹介した次第です。おもしろそうだと思われる方はいらっしゃりませぬか。1月にはディズニーランドで口上披露をしたそうです。また今月の21日(土)には、日本橋のプラザ展示ホールで披露があるそうです。よろしかったらぜひお出かけ下さい。

 (外郎売の口上大会のHPを左のブックマークに入れました)


 ところで下は、今年の1月2日、箱根駅伝観戦時の写真です。
   
 2006年から山上りの区間が長くなり、小田原中継所が「風祭」から「外郎本舗」前に移りました。

 「川崎、かな川、程がや、とつかは走って行けば、やいとを摺りむく、三里ばかりか、藤さは、ひらつか、大いそがしや、小磯の宿を七つ起きして、早天さうさう相州小田原透頂香・・・」
            (外郎売の口上より)

    正月の古道を学徒走り抜く   弁人


コメント
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