村上春樹訳『ティファニーで朝食を』(新潮文庫)を
だいぶ前に買ったものの、ほとんど読まずに棚に置いていた。
そういえばこれ読んでなかったなあと、ぱらぱらめくっていて、
「え?!」と思う。
作品の序盤。
映画ではオードリー・ヘプバーンが演じた主人公ホリーが、
語り手である「僕」の部屋に、ある晩はじめてあらわれる場面だ。
(それも、バスローブ姿で、いきなり窓からね)
「でもなにしろ非常階段はしんしんと冷えるし、
あなたはずいぶんあったかそうなひとに見えたから。
兄のフレッドみたいにね」(p.31)
兄?
わたしはずっとフレッドはホリーの「弟」だと思っていたのです。
グリム童話の「あめふらし」が「てんじくねずみ」だった、
というのと同じくらい、いや、それよりもっとびっくり。
英語のやっかいなところは、兄と弟、姉と妹を区別しないことだ。
ふつうは、どっちでもブラザー、シスターとしか書いてなくて、
「年上の」「年下の」という説明もいちいちつかないことが多い。
そもそも「お兄さん」「お姉さん」という呼び方が存在しないわけで、
『若草物語』なんかでもそうだけれど、上も下も平等に
ファーストネームやニックネームで呼び合っている。
日本が特に「長幼の序」を重んじる国なのかどうか知らないけれど、
現実に困るのは翻訳をするときだ。
「きょうだいのフレッド」ではやっぱりまずいので、日本語にするなら
「兄のフレッド」か「弟のフレッド」か、二者択一を迫られる。
年齢を判断する手がかりが、ちらっとでもあればいいけれど、
何もなかったら、どうするのだろう。
(というのが本日の「謎」です。あとはつけたし)
旧来の邦訳が「弟」になっていたせいで、わたしの頭の中で、
ホリーは「年の近い弟のいる若い女性」のイメージになってしまっていた。
戦地にいる弟を気づかってピーナツバターを買い集めて送ったり、
上の階に住む「僕」のことを弟の名で呼んで世話をやいてみたり。
(いや、「弟」と思って読むから世話をやく雰囲気になるだけか。
彼女が弟の話をするとき、代名詞のheは「あの子」と訳されていたし!)
いまさら弟じゃなく兄でしたと言われても、頭の切り替えがなかなかできない。
だーって、かれこれ40年も弟だと思ってたんですからね。
弟思いの姉と、兄が大好きな妹では、ぜんぜんキャラが違うでしょ?
しかし、新しい(といっても7年前ですが)村上訳が「兄」としたのは、
もちろんちゃんと根拠があってのことで、それは本文を
そのつもりで注意深く読まないと見過ごしてしまう。
第一に、ホリーの年齢設定が「19歳の2か月前」で、
フレッドはこのとき軍隊に入っているから18歳以下のはずがない。
第二に、ホリーが自分で語っているように、
(彼女の話を信じるなら、の話ですが)
彼女が14歳で家出したとき、フレッドは「8年生を3回やっていた。」
8年生は日本でいう中学2年生にあたるそうだから、フレッドは
間違いなく彼女より2歳年上の「兄」なのだ。
と、納得はしても、やっぱり「えー」という形に口があいてしまうんだな。
だめだ、この違和感、一生消えそうにありません。
<追記>
あらさがしをするわけじゃないけれど、同じカポーティの
『草の竪琴』は、ドリーが姉、ヴェリーナが妹、でいいのよね?
夢見がちな頼りない姉と、実務的なしっかり者の妹。
もしかして、カポーティという作家は、きょうだいの関係を
「いかにも・らしく」描くことをしない、あるいは、できない人で、
それが誤解を招いてしまうこともあるのではないかしら。
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うーん、なんだかよくわからないけど有機的なもの。