閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

柴刈りの謎

2017-12-28 17:40:24 | 


ホームセンターの駐車場で、都会風の若いカップルが、カートに積んできた一束600円くらいの堅木の薪を乗用車のトランクに入れようとしていた。
週末を別荘で過ごすのか、ストーブか暖炉かわからないが、扱いが不慣れな様子に見えたので、その太いのをいきなり放り込んでもうまく燃えないと思うけど大丈夫?…とつい余計な心配をしてしまう。
こういうのを「老婆心」っていうんでしょうね。
現在メインが薪暖房(サブは猫)のわが家では、一晩二晩ならともかく、冬じゅう買って焚いていたら、光熱費が大変なことになってしまう。

燃料にする木のことを、このあたりでは「燃し木(もしき)」という。
細いのも太いのも、暖房、風呂、煮炊きからキャンプファイアー的なものまで、燃すのはすべて「もしき」。
「焚き物(たきもん)」と呼ぶ地域もある。これだと木に限らず、松ぼっくりやおがくずなども入るだろう。
薪と書いて「たきぎ」と読むのも、つまり「焚き木」で、これらはすべて用途をあらわす言葉だ。

「柴(しば)」と「薪(まき)」はどうだろうか。
上にのせた写真のような、手でぽきぽき折れるくらい細いのが「柴」で、のこぎりで切ったり斧で割ったりするのが「薪」…と、境目はややあいまいだが、頭の中では区別がある。
ストーブを焚くときは、まず杉やヒノキの枯れ葉などこまかいものを入れ、細い小枝、割った竹、ちょっと太い枝、割った薪、割ってない薪…と順番に火を移していくようにする。

「しばるのが柴、まるく巻くのが薪」
そんなことを、ずいぶん前に何かで読んで覚えていた。
なんだったかなあ…と長いこと思い出せなかったが、つい先日、偶然その本にめぐり会えた。
斎藤たま著『ことばの旅』(新宿書房)。
「柴と薪」の話は、最初から3番目に出てくる。
そうそう、これ、福音館の「子どもの館」という月刊誌に連載されていて、同じ時期にわたしも「土曜日のシモン」という話を連載していたので、そのとき読んだんだった!
わたしの連載は6回だったから、「ことばの旅」も6回分しか読まなかった。
いずれまとめて福音館から出版されるのだろうと楽しみにしていたら、いつまで待っても出なくて、そのうち忘れてしまっていた。

「曇り」は「籠り」で、お日様がこもるところが「雲」で、「蜘蛛」も「蝙蝠」も巣や穴に「こもる」からついた名だとか。
「猫」はやわらかいから「柔毛(にこげ)」の「にこ」から「ねこ」になったのではないか、とか。
著者が日本各地を訪ね歩いて耳で聴いたことばの集積と、そこからの直感的な考察が興味深い。
わたしみたいに、「語源」や「字源」の話が大好きという人は、けっして多くはないと思うけれど、そういう人には絶対面白いですよ、この本。

…で、柴と薪。
燃し木は太さでわけて、柴は柴、薪は薪で積んでおく。
そうでないと、ごちゃごちゃになって使いにくくてしょうがない。
しかし、「しば」という名称が実際に使われるのはほとんど聞かない気がする。
(わたしは勝手に「たきつけ」とか「小枝」とか言っているし、Mは「こまかいの」とか「杉っ葉」とか言っている)
ホームセンターでは薪は売っているが、柴は売っていない。
現代では、商品でないもの、売買の対象にならないものから順に、その名を忘れられていく…なんてこともついでに考えたりする。

「おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくにいきました」
おなじみ「桃太郎」の出だしだが、洗濯はともかく、「しばかり」が今の子どもにわからない。
ほっとくと、おじいさんは山で「芝刈り」していると思っている。
という話を聞いたのは、もうずいぶん前のことだから、「芝刈り」と思って育った子は、すでに親世代になっているだろう。

巌谷小波の書いた「桃太郎」の英訳版を見たら、次のようになっていた。

The Old Man went to the mountain to cut firewood and the Old Woman went to the river to do some washing.
(「MOMOTARO  The Story of Peach-boy」 明治36年 英学新報社)

これはとてもわかりやすい。
おじいさんは、山のゴルフ場へ芝刈りのアルバイトに…ではなくて、「たきぎをとりに行った」のよ!
今や昔話は、相手が外国人だと思って語ったほうがいいのかもしれない。
考えてみれば、桃太郎の「原典」だと多くの人が思っているものは巌谷小波で、それは江戸時代に熟した実を明治時代に加工して瓶に詰めた文章なのだ。
「しばかり」がもう通じなければ「たきぎとり」と言い換えて何の不都合もないと思う。
「たきぎ」もわかんないと言われたら、それまでですが。

テキトーに描かれた昔話のイラストなどを見ると、山に出かけるおじいさんは、竹で編んだかごをしょって、手には鎌を持っていたりする。
鎌は「稲刈り」の、かごは「キノコ狩り」のイメージと混ざっているのだろう。
しょいかごに小枝を入れようとしても、ひっかかってしまっていくらも入らないし、鎌で木は切れない。
では、「しばかり」には、何を持って行けばいいでしょうか。

まず、背負子(しょいこ)。
登山をする人やバックパッカーがしょっている大きな荷物の、アルミの枠の部分がありますね。あれが、しょいこ。昔はもちろん木でできていた。
それから、縄。
縄がなければ、つる草などを現地調達して代用するので、その場合は、なた(山刀)があると便利。
それから、えーと、のこぎり?
のこを持って行くかどうかは、状況による。
おじいさんが「貧しい」という設定なら、山といっても自分の所有ではないだろうから、立ち木を勝手に切ることはできない。枯れ枝を拾うだけなら、のこぎりも斧も要らない。
拾った枝は、分かれ目からぽきぽきと折り、ざっと長さをそろえて束ね、縄でぎゅうぎゅうしばる。それをしょいこにくくりつけて背負って帰る。
桃太郎のおじいさんが山で刈ってくる柴は、自分の家の炊事や風呂焚きに使うだけでなく、売ったり物々交換したりして生計を立てていたのかもしれない。
 
「背負って帰る」イメージから連想されるのが、昔の小学校の校庭にあった「二宮金次郎像」だ。
銅像か石像か忘れたけれど、わたしの通った小学校にもたしかあった気がする。
本を読みながら歩いたら前が見えなくて危ないじゃないか…と言うけれど、金次郎君が歩いていたのは江戸時代だから、車もバイクも走っていないし、田舎道なんて人や馬だってめったに通らない。
それに、この時代に「書を読む」といえば四書五経の素読ときまっていて、推理小説を読みふけっているのとはわけが違う。

いや、その話ではなくて。
小学校の金次郎の像に、何か違和感があったのだが、あまりよく見たことがなく、どこが変なのかわからなかった。
あらためていろんな画像を見てみたら、違和感のもとは背中だと気づいた。
まず、背負っている「薪」が小さいし、少ない。
ほとんどランドセルくらいしかないものもある。
ふつう背負うほどの荷といえば、もっとかさばるものではないか。
それに「薪」が薪に見えない。太さが均一で、長さもぴったりそろいすぎている。まるで節分の巻き寿司みたいだ。
 
…という話をMにしたら、Mは「どこからどこに行くのかが気になっていた」という。
なるほど。どこでどのように薪を作り、それをどこへ何のために運んでいるのか、ですね。
自分の家で使うぶんを運んでいるだけだったら、わざわざほめられたりしないから、これは「家の手伝い」ではなく、賃金を得るための「労働」だろう。
とすると、背中の薪は売り物だ。
桃太郎のおじいさんみたいに、山へ行って薪をとってきて、それをしょって売りに行く。
こんな少量ずつ買うかなあと思うけれど、町なかの家では大量にまとめ買いしても置き場がないから、その日使う分ずつ買う、ということもあるかもしれない。
しかし、金次郎君は、のこぎりも斧も持っている様子がない。
ということは、山で薪をこしらえている人が別にいて、「ほれ、これだけかついで売ってこい」と渡されたのか。
それとも、薪や炭を商う店があって、金ちゃんは配達のアルバイトを…?

などなど、ぐるぐると考えているうちに、そもそもこの銅像のもとになったと言われる絵を見つけた。
それが、こちら。

朝は朝未明(まだき)、霧立ち迷ふ山に入り、薪(たきぎ)を採りつ柴刈りつ、帰途(かえり)は其を売代(うりしろ)なし…<中略>…薪伐(きこ)る山路の往返(ゆきかえり)歩みながらに読まれける心掛けこそ尊けれ。
幸田露伴著「少年文学 ニ宮尊徳翁」(博文館 明治24年)

あらー、だいぶイメージ違いましたね。
これはむしろ「おじいさんは山へ柴刈りに」の図ではないですか。

しかも、この絵にはさらに元になった中国故事があるらしく、それは「漢書」の中の「朱買臣伝」に書かれているそうなので、金次郎君が熱心に読んでいる本がそのくだりだったらすごく面白いんだけど、どうでしょうね。
 
 
<おまけ>

こちらが、狩野元信えがく「朱買臣図」。
これまた不思議な運び方をしておられる。
本の向きも不思議だけど…後ろにぶらさげているのは、これから読む予定の本なのかな。
中国では「負薪挂角」といって、隋の李密という人(牛で荷運びをしながら牛の角に本をひっかけて読んでいた)とワンセットになっているようです。 
  
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