閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

鶴の謎

2022-05-12 22:55:03 | 

博多銘菓「鶴乃子」は、わが家では懐かしのお菓子です。
わたしは母の実家が門司にあったし、Mはお父さんが大宰府の出身。ということで、ふたりとも小さい頃から九州みやげといえばこれ。今も変わらずにあるのが嬉しい。
(個人的には、関門みやげの「ふく煎餅」と「亀の甲煎餅」のほうが好きだったけど、もうどちらもなくなってしまった)

薄紙に包まれた卵形の(正確にいえば卵を縦半分にした形の)白とピンクのお菓子で、見た目からは当然おまんじゅうを予想するけれど、これがなんとマシュマロ。ふわふわの甘いマシュマロに黄身あんが入っているのです。
昔からあるとはいっても、戦後のものだろうかと思っていたら、100年以上の歴史があると知ってびっくり。
この店はもともと「鶏卵素麺」(まっ黄色でめちゃくちゃ甘い謎の食べもの)を商っており、それを作るのに大量の卵黄を使う。余った卵白の使いみちとして、淡雪からマシュマロを思いついたんだそうです。
(詳しくは→こちら
ついでにマシュマロについて調べたら、日本ではすでに明治中期から作られていたというので、またびっくり。「真珠麿」と書いたんだって。良いセンスだなあ。

で、本日の謎は、マシュマロ、ではなく、鶴です。
博多銘菓が、なぜ鶴なのか。
「鶴乃子」の能書き(というのかな?)を見ると、万葉集の歌が引用されておりました。

可之布江(かしふえ)に 鶴(たづ)鳴き渡る 志賀の浦に 沖つ白波 立ちし来(く)らしも

「かしふえ」は香椎潟。博多湾の遠浅の入り江に、かつては鶴が舞いおりたかもしれないなあ、ということで、いにしえの昔をしのんで鶴の卵の形のお菓子ができた。
(逆にいえば、当時すでに鶴は来なくなっていたのね)
地方の銘菓には、たいていこのような「由来」がついているもので、それはまあいいとして…なにかとひっかかりやすい閑猫が、またしてもひっかかったのは、パッケージの鶴の絵です。
ものごころついて以来、ずっと同じデザインだった気がするけれど、白と黒で、頭のてっぺんが赤い。これ、タンチョウですよね。
現在は北海道の一部でしか見られないけれど、万葉集の時代には、九州まで渡って来ていたのかしら。

「鶴(たづ)鳴き渡る」の「たづ」という言葉には、もともとタンチョウ、ナベヅル、マナヅルといった細かい区別はなかったようだ。図鑑やネット画像が出回っている現代とは違う。地域によっては、首と足の長い大型の鳥なら、サギやコウノトリなどもひっくるめて「たづ」と呼ばれた、かもしれない。

そこでふと思い出したのが、有名な日本昔話の「鶴女房」。絵本では例外なくタンチョウが描かれているけれど、あれはほんとにタンチョウでいいのかしら。
絵本を描いたことのあるMに聞いてみたところ、最初からタンチョウだと思っていたので、他の種類のツルということは全然考えなかった、と。
ふむ。この「鶴といえばタンチョウにきまっている」という常識は、いったいどこから来たのでしょう。

「鶴女房」では、女に化けた(とは言わないか?)鶴が嫁に来て、ひそかに自分の羽を抜いて美しい布地を織る。鶴の羽毛で本当に布が織れるものだろうか、なんてことは、別に気にしなくていい。昔話なんだから。と言いつつ、やっぱりちょっと気になるので、そっちを先に…(笑)
 
中国の古典だか故事だかに「鶴氅」( かくしょう=鶴の羽ごろも)というものが出てくるそうだ。昔の絵を見ると、厚ぼったい綿入れのようなのを着た人がいるので、もしかしたらその起源は、鶴その他の水鳥の羽毛を用いた、実用的なダウンコートだったかもしれない。
一方、中国では白い鶴(白い鹿、牛、馬、などなど)は神聖なもの、長寿や高雅の象徴とされてきた。たぶんそこからだと思うけど、仙人や道士の着る長い上着が「鶴氅」と呼ばれるようになった。本来は鶴の羽でできたケープのようなもの(肩のまわりにずらっと羽がついてる、みたいな?)で、空を飛べる能力をあらわしていたのが、のちに形式化され、白地に黒の縁取り、あるいは鶴の模様の刺繍をした、袖口の広いゆったりした衣服となった。
三国志に出てくる諸葛亮孔明の衣装が、これですね。手には扇を持っている。それも鶴の羽。

で、えっーと、孔明と鶴女房がどう結びつくのか、という話をしていると、いつまでたっても終わらないので、途中とばしますが…
つまり「白い鶴は高貴」という中国古来の価値観が、白い鶴を描いた陶磁器や花鳥画と共に日本に輸入され、日本で見られる(けれど、どこにでも普通にいるわけではない、珍しい)白い鶴といえばタンチョウ、ということで、「鶴=タンチョウ」のイメージが定着してしまった。
だから、博多銘菓のパッケージの鶴も、九州にいるからってナベヅルやマナヅルではだめで、実際には誰も見たことがないタンチョウだからこそ、誰もが間違いなく「鶴だね」と認識できるという、不思議な仕組みなのでした。
おしまい。
ふう。

 

おまけ。
うちの「猫乃子」。
黒と黒白、2個セット。

 

いや、じつは、この写真をのせたいための長々とした前置き、だったりして。

 

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