この場所は日あたりも見晴らしも良いので、みんな好きらしい。
見てる見てる。
この日は夕方まで長くここにいた。
(でも、翌朝はナベゾーが来て、マーキングをせっせと「上書き保存」しておりました・笑)
そしてまた別の日。
「ほよん…ほよよん…」と声がするので、2階のベランダからのぞくと、
西側の川沿いを、鳴きながらゆっくり歩いていくオズ。
ん? 立ち止まったと思ったら、
ややや、草むらから出て来たキャラメル色は、うちのコマ吉!
ためらいもなく、するすると近づいていくじゃないですか。
オズのほうも、警戒する様子はなく、すんなり鼻先を寄せて、あいさつ。
そして…
オズが歩き出すと、すぐあとからコマも。
おいおい、なんなの、きみたち。どこ行くの?
川の浅いところを渡って、鹿除け柵を抜けて、どんどん行ってしまうオズ。
いっしょうけんめいついてくコマ吉。
やがてどちらも見えなくなった。
(なんだかさっぱりわかんない写真でスミマセン。実際遠くてよく見えないし、やぶと杉林でごちゃごちゃした場所なので説明もしにくいのです)
よそ猫についてっちゃうのを見たのは、これで3回目。
スリちゃんのときも、ジャッキーのときもまったく同じで、いきなり親しげに寄っていくコマに対し、相手も攻撃することはなく、フーもシャーもなく、むしろ不思議なほど友好的なのだ。
オズから見ると、1歳半のコマはまだ「守ってやるべき子猫」であり、逆にコマから見れば、オズは「経験豊かな頼りになるおじさん」で、ついていくと美味しいものにありつけたりするかも…と本能で感じるのかもしれない。
とっかえひっかえやってくるよそ猫が、この家を見下ろす場所を重要ポイントにしているのは、土地建物だけでなく、家の中にいる猫も含めて「占有」しているつもりなんじゃないだろうか。
自分も入れてほしい、ゴハンほしい、と妬ましく見ているわけではなく、「よしよし、みな暖かく幸せにしておるな」と、民の暮らしを眺める王のような気分でいるのかもしれない。
うちのコは全員ニュートラルで、オスでもメスでもない。これは猫の世界では「子猫」に相当する。子猫の世話をしているのはヒトだが、本来ならこれは成猫メスである。
その「女子供」たちを敵から守っている(つもりの!)傷だらけの顔をした成猫オスは、一時的にせよ、人が思うよりずっと幸せなのではないだろうか。
(…というのは、例によってあやしい「閑猫論」なので、気にしないで)
しかし、同じニュートラルでも、外でばったり出会ってしまうと、さんちゃんなら乱闘になるし、おとなしいクレだって確実に唸り合いになる。これはお互いに「オス猫=ライバル」と認識している証拠で、ニュートラル猫にも一応オスメスの区別や自覚はあるらしく、本能からくる行動も部分的に、あるいは形だけ残っていたりする。
どうしてコマだけ大きくなっても「子猫」なんだろう。この現象、いまのうちだけで、やがてコマ吉も「子猫パス」の期限が切れる日がくるのでしょうか。
ケンカするよりは仲良しのほうが安心ではあるけれど、あんまり遠くへ連れて行かれても困るので、こっち岸から「コマやー、コマちゃぁん、コマティキー、コマテケー、帰っといでー、おーい」とずーっと呼んでいたら、15分ほどして、ひょこっと帰ってきた。
ちょっと興奮気味にシッポをふくらませ、ゴロゴロ、ゴロゴロいって盛大に乳母やに甘え、「あのねー、あのねー、ボクねー」と、話したいことがたくさんあるみたいでした。