つぼみ、ふくらんできましたよ。
このところ、晴れた日は、外で木を切っている。
枯れた枝、伸びすぎた枝、からまったつるをトリミングしたり、
間伐木を刻んで薪をこしらえたりしている。
枯れ木の場合、手でぽきんと折れる小枝は折り、
折るには太い直径3センチから5~6センチくらいの枝を、
安い替え刃式の枝切り鋸で、がしがしと切っていく。
10センチを超えるとチェーンソー君におまかせするしかないが、
太い幹、中ぐらいの枝、細い枝、小枝・・と仕分けするだけでも、
びっくりするほどかさが減って扱いやすくなる。
うちでは「三枚おろし」と言うんだけれど、これはけっこう楽しい。
やればやっただけ、ハッキリ目に見えて成果が出るというのは、
じつに気分の良いものです。
そして、良い運動になる。
鋸エクササイズ。
毛細血管が細いんだそうで、子どものころから、冬は手足が冷えやすい。
加えて座り仕事メインなので、どうしても血のめぐりが不活発になる。
寒いときに鏡を見ると、ぞっとするような顔色をしていることがある。
運動をすればいいのだが、わたしは運動ってものが駄目で・・(笑)
鋸のいいところは、すばやく身体があたたまることだ。
腕をしっかり動かすせいか、15分もやると、身体がぽかぽかしてくる。
枯れ木の山が片付いて、薪の山ができて、ほっぺもピンクになって、
いいことずくめではありませんか。
あ、もうひとついいことがあった。
木を切っているあいだは、とにかく暖房がいらないのだ。
自分で動いてあたたまる。究極の省エネ。(いまごろ気づいた!)
誰でも、自分の薪の山を見るときは、一種の愛情をおぼえるものだ。
ぼくは窓の前に薪を積んでおくのが好きだった。
薪の山が高ければ高いほど、労働の喜びを思い起こさせてくれる。
ぼくは、誰のものかわからない古い斧を1本持っていて、冬は、家の外の
ひなたで、豆畑から運んできた切り株にむかって斧をふるうのが仕事だった。
それを掘り起こすときに雇った牛追いの男が予言したとおり、
切り株は二度ぼくを暖めてくれた。
一度めは割っているときに、二度めは火にくべたときに。
だからこれほど火力の強い燃料はないというわけだ。
H.D.ソロー『ウォルデン』より
ソローは「二度」と書いているが、「三度」というバリエーションもある。
「割って(切って)いるとき」と「火にくべたとき」は同じで、
そのあいだに、「運んでくるとき」あるいは「積むとき」が入る。
「その火を見つめていると心があたたまる」
というおまけが最後につく場合もある。
ソローはいっぱい名言があるので有名な人だけれど、
これは「牛追いが言った」とみずから書いているから、
ソローのオリジナルというわけではなさそうですね。
それにしても、木の根まで掘り起こして割ってたのか。
すごいなあ。
この水玉に入っている黒いのは・・
これだ。
たぶんね。
本日の雲釣り
じっくり待ち構えて・・
ゲット。
本日の「いいね!」
Shane Koyczan "To This Day"
カナダの詩人シェーン・コイザンのパフォーマンス。