閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

梅水玉

2015-01-20 21:50:37 | 日々

つぼみ、ふくらんできましたよ。


 

 

 

 

このところ、晴れた日は、外で木を切っている。
枯れた枝、伸びすぎた枝、からまったつるをトリミングしたり、
間伐木を刻んで薪をこしらえたりしている。

枯れ木の場合、手でぽきんと折れる小枝は折り、
折るには太い直径3センチから5~6センチくらいの枝を、
安い替え刃式の枝切り鋸で、がしがしと切っていく。
10センチを超えるとチェーンソー君におまかせするしかないが、
太い幹、中ぐらいの枝、細い枝、小枝・・と仕分けするだけでも、
びっくりするほどかさが減って扱いやすくなる。
うちでは「三枚おろし」と言うんだけれど、これはけっこう楽しい。
やればやっただけ、ハッキリ目に見えて成果が出るというのは、
じつに気分の良いものです。
そして、良い運動になる。
鋸エクササイズ。 

毛細血管が細いんだそうで、子どものころから、冬は手足が冷えやすい。
加えて座り仕事メインなので、どうしても血のめぐりが不活発になる。
寒いときに鏡を見ると、ぞっとするような顔色をしていることがある。
運動をすればいいのだが、わたしは運動ってものが駄目で・・(笑)
鋸のいいところは、すばやく身体があたたまることだ。
腕をしっかり動かすせいか、15分もやると、身体がぽかぽかしてくる。
枯れ木の山が片付いて、薪の山ができて、ほっぺもピンクになって、
いいことずくめではありませんか。

あ、もうひとついいことがあった。
木を切っているあいだは、とにかく暖房がいらないのだ。
自分で動いてあたたまる。究極の省エネ。(いまごろ気づいた!) 



誰でも、自分の薪の山を見るときは、一種の愛情をおぼえるものだ。
ぼくは窓の前に薪を積んでおくのが好きだった。
薪の山が高ければ高いほど、労働の喜びを思い起こさせてくれる。
ぼくは、誰のものかわからない古い斧を1本持っていて、冬は、家の外の
ひなたで、豆畑から運んできた切り株にむかって斧をふるうのが仕事だった。
それを掘り起こすときに雇った牛追いの男が予言したとおり、
切り株は二度ぼくを暖めてくれた。
一度めは割っているときに、二度めは火にくべたときに。
だからこれほど火力の強い燃料はないというわけだ。

H.D.ソロー『ウォルデン』より

ソローは「二度」と書いているが、「三度」というバリエーションもある。
「割って(切って)いるとき」と「火にくべたとき」は同じで、
そのあいだに、「運んでくるとき」あるいは「積むとき」が入る。
「その火を見つめていると心があたたまる」
というおまけが最後につく場合もある。
ソローはいっぱい名言があるので有名な人だけれど、
これは「牛追いが言った」とみずから書いているから、
ソローのオリジナルというわけではなさそうですね。
それにしても、木の根まで掘り起こして割ってたのか。
すごいなあ。 



 

この水玉に入っている黒いのは・・

 

 

これだ。

 

 

たぶんね。

 

 

本日の雲釣り

じっくり待ち構えて・・

 

 

 

ゲット。

 

 

本日の「いいね!」

Shane Koyczan "To This Day"

カナダの詩人シェーン・コイザンのパフォーマンス。

 

コメント
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