この言葉を私はいろいろな意味で使う。偉いと感心する気持ちをこめて「偉人種」であることもあるし(例:人の世話をする仕事の好きな人)、はっきり言ってバカにしていることもあるし(男を車で選ぶ女とか、夫の部下の妻を自分の家来のように見做す女とか)。単に違いに驚くだけということもある、例えば、根っから運動が嫌いで特にマラソン大会なんて地獄だった私から見れば、駅伝にわざわざ参加する人なんてう~~信じられん、と思う、でもたくさんいるからなぁ。こんなに、好きで走る人が余るほどいるんだから、嫌いな生徒たちまでさせなくていいぢゃないか~~!とかなりムチャなことを思う。駅伝はいつも視聴率が高いそうで、もし私がテレビ局の人間ならば、我々が苦労して面白くしようと作ってる番組よりも、ただ実況するだけのこれのほうが人気あるなんて、とひがむに違いない。
フィクションに心を動かさない人間も明らかに異人種だ。『ハックルベリィ・フィンの冒険』はもうかなりまえに読んだのではっきり覚えていないが、ハックが誰か聖書の人物を話をきいていて、でもそれが遠い昔のことだと知って急に興味を失うという場面がある。身近な現実のことだけを見ることは、見ないよりは健全かもしれない、あるいは、現実が多忙・過酷すぎて遠いことにはかまける余裕がないこともあるだろう。しかし、旧約聖書のエフタの娘の話には本当に腸が煮えくり返る私は、ハックと心の友にはなれないな、と思う。(アブラハムも嫌いだ!) ハックには痛くもかゆくもあるまいが。
文学上のこと・歴史上の出来事に対して心をゆさぶられることを知らない人は損をしていると思う。(スポーツの楽しみ・オシャレの楽しみを知らないことを不幸だと思う人たちも多いだろうけど) マンガでもアニメでも映画でも。 歴史上の人物への思いいれだって、それが他者への否定に走らない限り、嘲笑されるべきことではない。--だから、吉村作治氏が「クレオパトラが初恋」と豪語することも、山崎晴哉がエリザベス・テーラーの映画に影響を受けたことも、それ自体悪いと言うつもりは毛頭ない。ではなにを悪いと言いたいのかは、別の機会に譲る。
別に、悪口予告編のつもりでこの項を書き始めたのではない。遠い物語(歴史含む)への思いいれを見下す連中は嫌いだ、と主に言いたかった。
ついでに言えば:ハーレクインにしろ『冬ソナ』にしろ、フィクションにハマることをどうして世間ではたびたび、現実への欲求不満のように決め付けるのかと不愉快だ。(私自身がこれらのファンなわけではない) 日常は日常で幸せ、虚構には別な夢を求めることのどこがおかしいか。虚構は楽しみのために作られるのだから、それが現実よりも魅力的でなければそのほうがヘンなのに。
フィクションに心を動かさない人間も明らかに異人種だ。『ハックルベリィ・フィンの冒険』はもうかなりまえに読んだのではっきり覚えていないが、ハックが誰か聖書の人物を話をきいていて、でもそれが遠い昔のことだと知って急に興味を失うという場面がある。身近な現実のことだけを見ることは、見ないよりは健全かもしれない、あるいは、現実が多忙・過酷すぎて遠いことにはかまける余裕がないこともあるだろう。しかし、旧約聖書のエフタの娘の話には本当に腸が煮えくり返る私は、ハックと心の友にはなれないな、と思う。(アブラハムも嫌いだ!) ハックには痛くもかゆくもあるまいが。
文学上のこと・歴史上の出来事に対して心をゆさぶられることを知らない人は損をしていると思う。(スポーツの楽しみ・オシャレの楽しみを知らないことを不幸だと思う人たちも多いだろうけど) マンガでもアニメでも映画でも。 歴史上の人物への思いいれだって、それが他者への否定に走らない限り、嘲笑されるべきことではない。--だから、吉村作治氏が「クレオパトラが初恋」と豪語することも、山崎晴哉がエリザベス・テーラーの映画に影響を受けたことも、それ自体悪いと言うつもりは毛頭ない。ではなにを悪いと言いたいのかは、別の機会に譲る。
別に、悪口予告編のつもりでこの項を書き始めたのではない。遠い物語(歴史含む)への思いいれを見下す連中は嫌いだ、と主に言いたかった。
ついでに言えば:ハーレクインにしろ『冬ソナ』にしろ、フィクションにハマることをどうして世間ではたびたび、現実への欲求不満のように決め付けるのかと不愉快だ。(私自身がこれらのファンなわけではない) 日常は日常で幸せ、虚構には別な夢を求めることのどこがおかしいか。虚構は楽しみのために作られるのだから、それが現実よりも魅力的でなければそのほうがヘンなのに。