レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

「異人種」

2006-06-21 17:15:37 | 雑記
 この言葉を私はいろいろな意味で使う。偉いと感心する気持ちをこめて「偉人種」であることもあるし(例:人の世話をする仕事の好きな人)、はっきり言ってバカにしていることもあるし(男を車で選ぶ女とか、夫の部下の妻を自分の家来のように見做す女とか)。単に違いに驚くだけということもある、例えば、根っから運動が嫌いで特にマラソン大会なんて地獄だった私から見れば、駅伝にわざわざ参加する人なんてう~~信じられん、と思う、でもたくさんいるからなぁ。こんなに、好きで走る人が余るほどいるんだから、嫌いな生徒たちまでさせなくていいぢゃないか~~!とかなりムチャなことを思う。駅伝はいつも視聴率が高いそうで、もし私がテレビ局の人間ならば、我々が苦労して面白くしようと作ってる番組よりも、ただ実況するだけのこれのほうが人気あるなんて、とひがむに違いない。
 フィクションに心を動かさない人間も明らかに異人種だ。『ハックルベリィ・フィンの冒険』はもうかなりまえに読んだのではっきり覚えていないが、ハックが誰か聖書の人物を話をきいていて、でもそれが遠い昔のことだと知って急に興味を失うという場面がある。身近な現実のことだけを見ることは、見ないよりは健全かもしれない、あるいは、現実が多忙・過酷すぎて遠いことにはかまける余裕がないこともあるだろう。しかし、旧約聖書のエフタの娘の話には本当に腸が煮えくり返る私は、ハックと心の友にはなれないな、と思う。(アブラハムも嫌いだ!) ハックには痛くもかゆくもあるまいが。
 文学上のこと・歴史上の出来事に対して心をゆさぶられることを知らない人は損をしていると思う。(スポーツの楽しみ・オシャレの楽しみを知らないことを不幸だと思う人たちも多いだろうけど) マンガでもアニメでも映画でも。 歴史上の人物への思いいれだって、それが他者への否定に走らない限り、嘲笑されるべきことではない。--だから、吉村作治氏が「クレオパトラが初恋」と豪語することも、山崎晴哉がエリザベス・テーラーの映画に影響を受けたことも、それ自体悪いと言うつもりは毛頭ない。ではなにを悪いと言いたいのかは、別の機会に譲る。

 別に、悪口予告編のつもりでこの項を書き始めたのではない。遠い物語(歴史含む)への思いいれを見下す連中は嫌いだ、と主に言いたかった。

 ついでに言えば:ハーレクインにしろ『冬ソナ』にしろ、フィクションにハマることをどうして世間ではたびたび、現実への欲求不満のように決め付けるのかと不愉快だ。(私自身がこれらのファンなわけではない) 日常は日常で幸せ、虚構には別な夢を求めることのどこがおかしいか。虚構は楽しみのために作られるのだから、それが現実よりも魅力的でなければそのほうがヘンなのに。
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エリザベス1世

2006-06-21 17:10:01 | 歴史
 講談社現代新書『エリザベスⅠ世 大英帝国の幕開け』青木道彦(2000)を読んだ。父ヘンリー8世のせいで苦難の半生、王位についてからもこれまた多難なことは既に有名であるが、遠縁のメアリ・スチュアートがスコットランドから逃げてきたあとで、彼女を幽閉状態にしながらも彼女のスコットランド王位復帰のためにははからってやっていたという件はこれで初めて知ったことだった。
 私は、メアリも決して嫌いなわけではないが、イングランドの王位をめぐっての争いについてはエリザベスに味方する。庶子よばわりされたことは許し難かったろうと、この点、カエサル死後の後継者争いのときのオクタヴィアヌスと重なるのだ。
 引用する。

 メアリ・スチュアートが反エリザベス陰謀に加担するようなこともなく、スコットランド王位への復帰のみを願っていれば、その望みはかなったかもしれないというのは、かなり可能性のある推定である。しかし堅い信念をもつ旧教徒として養育されたメアリは、やはり心境とのエリザベスをしりぞける陰謀に加担せざるを得ない運命にあったのかもしれない。
 メアリこそ16世紀後半のイングランドの国家と王位の安定を揺るがせた悪の張本人であるといった見方は、あまりにもイングランドないし新教徒の観点にかたよりすぎているように思われる。その一方で、メアリが人間的で豊かな文学的センスをもった女性であったのに対して、エリザベスは冷酷・非情でメアリを処刑に追いやったのだという見方は、あまりにもメアリの肩をもちすぎていて、エリザベスがメアリの処刑に踏み切らざるを得なかった苦悩を正当にみていないというべきであろう。

 引用終わり。
これ、クレオパトラとオクタヴィアヌスの関係についてもかなりあてはまっていませんか?カエサリオンがカエサルの後継者だなんて言わずに、エジプトのファラオにするだけで満足していれば、少なくともローマとの戦争になりはしなかった、カエサリオンの命は無事だっただろうに。あとでなにか口実ができればやはり乗っ取られてたにしても。

 「東のヘンリー、西の綱吉」とはサラさんの名言(跡継ぎ欲しさにハタが大迷惑という意味で)。でも個人的な強烈さはどう見てもヘンリー8世のほうが勝っている。歴史に特に詳しい人でなくても、6回も結婚した、そのうち2人を死刑にした王、ということは覚えているのじゃなかろうか。
 エリザベスは、母アン・ブーリンの処刑のときにまだ幼児で、さほどこのことが不幸をもたらさなかったというふうに言われているが、心の奥底でくすぶるものがあったと思う。自分が男に生まれていれば母は死なずにすんだということは当然考えただろう。しかし、私はここで、彼女にそれを己への否定感情にはしてほしくはない。無実の罪を着せて母を死に追いやった父への恨みという方向を向くべきだ。女に産まれた自分の治世で父よりもイングランドを栄えさせることで、母の名誉を挽回し、父への復讐となしたと思いたい。そして、諸外国との軋轢をすり抜けることにも活用し、ケチな反面オシャレも楽しみ(趣味はナンだけど)、情事も持ち、でも権力は分かたず(男に対して根本的な不信感があったとしても不自然ではなかろう)。独身のままで終わったのは、もしかすると、父があんなに執着した血統を断ち切ってやる目論見だったかもしれない。子の産めない体とした本もあるが、もしそうだとしても、そのことを自分にとって都合のよいように利用してやる女だっただろう。
 このような解釈には史的根拠はない。私の願望である。
「逆エレクトラ」であってほしいというこの解釈だと、メアリが彼女を「庶子」よばわりしたことは、母への侮辱でもあるので一層許せないものだったということになるのだ。

 以下、2chの少女マンガトリビアスレッドから。

「ガラスの仮面」の劇中劇「二人の王女」の元ネタはエリザベス一世とメアリ・スチュワートの関係。もともと作者はこの二人の女王のマンガを描くつもりで構想を温めてたんだけど、「ガラカメ」執筆でほかのマンガを描く余裕がなかったために劇中劇として描くことにしたんだって。
 
以上。真偽は定かでないけどありそうな話。
コメント (2)
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